しばらく前、次の記事を読みました。
私は、問題のドラマの当該のエピソードは見ましたが、ドラマの内容について論評することはできません。私の気づかない伏線や背景があるかも知れないからです。ただ、一般的には、「サーターアンダーギー」が手土産として必ずしもふさわしくないことは、私にもわかります。
正確に言うなら、手土産としてのサーターアンダーギーは、相手と場面を選びます。これは、完全にカジュアルな食品であり、多少なりともあらたまった場でやりとりされるものではないように思われます。
沖縄を訪れ、那覇の繁華街を歩いていると、サーターアンダーギーが駄菓子屋、惣菜屋、土産物屋の店頭で売られているのを見かけることが少なくありません。しかし、これらは、いくつかまとめてビニール袋に詰められていたり、あるいは——揚げたての場合は——揚げ物用のパッドにむきだしで並べられていたりしています。そして、このような売られ方、および、外見や価格から明らかなように、サーターアンダーギーというのは、スーパーマーケットに並べられている袋入りの煎餅と同じように、基本的には自分で消費することを前提として売られているものです。誰かのプレゼントに使われるとしても、その相手は、家族、友人、親しい同僚などに限定されるはずであり、そもそも、食品としての性格上、あらたまった相手への贈答品や手土産となることは想定されないはずです。私自身、初めて沖縄を訪れたとき、大きなビニール袋入りのものを購入して食べてみました。
とはいえ、あらたまった場面での手土産としてサーターアンダーギーが不適切であることが確かであるとしても、それでも、問題のドラマの場面は、多くの人々に、沖縄の土産物をめぐるある特殊な事情を想起させたはずです。すなわち、数え切れないほどの特産品や名物があるにもかかわらず、あらたまった場面で贈答品になりうるものが沖縄には少ないのです。少なくとも私が知る範囲では、沖縄の特産品や名物の大半は、カジュアルなプレゼントには使えても、お中元やお歳暮のレベルを超えたフォーマルな贈答品とはなりえません。