Home 世間話 片づけの涯に手もとに残るはずの「好きなもの」について(後篇)

片づけの涯に手もとに残るはずの「好きなもの」について(後篇)

by 清水真木

※この文章は、「片づけの涯に手もとに残るはずの『好きなもの』について(前篇)」の続きです。

 ところが、残念ながら、片づけを主題とする自己啓発書の大半は、心の整理の効用を説くのに忙しいのでしょう、「好きでもないし、必要でもないが、捨てて大丈夫かどうか決められないもの」は、ごく軽く扱われるか、あるいは、最初から無視されるのが普通です。ときには、家の中にあるすべてものものを「現在使っているもの、あるいは、未来において使うことが確実なもの」と、これに当てはまらないものに区分し、後者をすべて廃棄するようすすめられることもあります。

 私がこれまでに目を通した「片づけ本」のうち、「第4極」の扱い方にもっとも多くの文字数を割いているのは、次の本です。(下に続く)

 この本の著者は、私が仮に「第4極」と名づけたもの集め、(ただちに廃棄するのではなく、)それ自体として仕分けし、捨てられるようになるのを待つことをすすめます。

 この点は、他の片づけ本にはないこの書物に固有の特徴であると言うことができます。また、不用なものを選び出して処分することではなく、反対に、「必要なもの」と「好きなもの」を選り分けることができるようになることこそ片づけの要諦であるという著者の一貫した立場を考慮するなら、これは、当然のことであるに違いありません。

 とはいえ、もちろん、片づけのゴールを「好きなもの」「お気に入り」「心がときめくもの」を身辺に集めること、これにより生活の質を向上させることである点において、この書物は他の「片づけ本」と同じです。

 片づけが進行するとともに、心もまた整理され、「好きなもの」「お気に入り」「心がときめくもの」が次第に明らかになってくる可能性がないことはありません。部屋が散らかっているせいで、ものに対する愛着がそれ自体として鈍磨している可能性があるからです。この意味においても、「好きでもないし、必要でもないが、捨てて大丈夫かどうか決められないもの」をすぐには捨ててしまわないように、というアドバイスは有効であるのかも知れません。

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