昨日、次の記事を読みました。Yahoo!のトップページに見出しが掲載されたものですから、これに目を通した人は少なくないはずです。
私は、同性婚には大した関心はありません。現在、わが国では、同性のあいだでの結婚が法律によって認められていませんが、これに由来する不都合というものは、少なくとも私自身の普段の生活には何もないからです。したがって、私にとっては、解決を必要とする政治的な諸問題における同性婚の優先順位は必ずしも高くありません。
とはいえ、同性婚を認めることについて「賛成」「反対」のいずれかによって答えることを求められるなら、私は、「賛成」を選びます。理由は単純です。上に述べたように、私自身は、同性婚が認められていないことに何の不都合も覚えませんが、まったく同じように、同性婚が認められることにもまた、具体的な不都合を認めないからです。
誰かのある権利を新たに認めることが、他の誰かの別の何らかの権利を直接に制限したり、利益を直接に損ねたりするようなら、もちろん、新しい権利を承認するよう制度をあらためることには慎重でなければなりません。
しかし、同性婚が法律によって認められたとしても、このことは、それ自体としては、誰の権利も侵害しません。同性婚については、反対する合理的な理由が何もないのです。したがって、同性婚に反対する人々は、何の利害関係もない他人の権利を理由なく制限しようとしていることになります。
新型コロナウィルスのワクチンの接種についてもまた、事情は同じです。少なくとも現在の日本で生活するかぎり、コロナウィルスのワクチンの接種は義務ではありません。したがって、ワクチンの接種が政府によって推奨されているとしても、ワクチンの接種を受けない人が直接に不利益を被ることはありません。
それにもかかわらず、世の中には、ワクチンの接種に反対する人々が少なくないようです。彼ら/彼女らは、みずからがワクチンの接種を受けないばかりではありません。他人がワクチンの接種を受けることを妨害し、ワクチンの接種を受ける権利を制限するのです。反ワクチンと同性婚への反対のうちに、同じ構図を認めることができます。
自分の利益や権利とは何の関係もないにもかかわらず、お節介なことに、同性婚に反対したり、ワクチンの接種に反対したりするのは、立場、意見、生活信条などを異にする他人が身近にいること、自分の視界に異質なものが姿を現すことに耐えられないからであるに違いありません1 。同性婚に反対し、ワクチンの接種に反対する人々は、これを不快と感じ、この個人的な不快感を解消するためなら、自分が常識であると信じるものに周囲を無理やり同調させることが許されると考えているのかも知れません。(後篇に続く)
- これは、単なるパターナリズムではありません。 [↩]