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私たち末端消費者が企業に対してとるべき態度について

by 清水真木

 しばらく前、次の記事を読みました。

 「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢(むく)・生娘なうちに牛丼中毒にする」というこの発言があったことについて、私の心には、「民間企業の重役なんてそんなものでしょう」という以上の感想は浮かびませんでした。

 私自身の口からこのような言葉が出ることはありませんし、また、このようなことを平然と語ることができる人間には近づきたくないと思いますが、民間企業、特に、末端消費者相手に商売する大企業の重役が上に引用したようなことを語ったとしても、特に驚くには当たらないと思うからです。

 むしろ、これをネットで公開した受講生の反応の方が見当違いであると私は考えています。

 また、私の目に触れたかぎりでは、少なくともネット上には、「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢(むく)・生娘なうちに牛丼中毒にする」というのは、「消費者を依存させるような商品を世に送り出す」という企業のごく一般的な戦略を述べたものであり、内容の点では決して間違いではない、表現がひどすぎただけである、という意味の批評が散見します。つまり、商品を買わせるために、消費者を依存させるという戦略は肯定的に評価されるべきであるという意見が支配的であるように見えます。

 たしかに、次のような本の指摘を俟つまでもなく、自社の商品に対する依存を消費者のあいだに作り出すことを目指す企業が少なくないことは、私も知らないわけではありません。

 しかし、私は、この意見には同意しません。自社の商品に依存する消費者を作り出すことは、消費者から合理的な判断を奪うことに他ならないからであり、消費者のあいだに「依存」を作り出すことで利益を挙げることを是とし——表現がどのようなものであるとしても——このような「戦略」を公然と語る人間や企業が信用に値するものであるはずがないからです。

 この出来事から私たちが学ばなければならないのは、このような企業が少なくないことを前提とする消費者教育の徹底でしょう。実際、私たちには、言葉の本来の意味における「消費者教育」を導入して自衛する以外、できることは何もありません。

 「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢(むく)・生娘なうちに牛丼中毒にする」という発言にショックを受けた受講生は、「抗議の署名」を集めて吉野家と早稲田大学に送ったそうですが、これは、合理的ではなく、情緒に突き動かされた行動にすぎません。

 むしろ、この出来事は、末端消費者を相手に商売する——誰もがその名を知る——大企業の経営において重要な役割を担う者たちが、このようなろくでもない考え方に支配されていることを直に確認する絶好の機会として受け止めるのがふさわしいように私には思われるのです。

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