YouTubeでは、ものの作り方や道具の使い方を説明する動画、観光名所を案内する動画などがたくさん公開されています。
私は、自分が手に入れたい情報を求めてYouTube内の動画をそれ自体として検索することは滅多にありません。ただ、YouTubeにアップロードされた動画がGoogleの検索結果としてヒットするときには、動画を再生してみることがあります。
とはいえ、私は、このような動画を観るたびに、強い違和感を覚えます。というのも、大抵の場合、そこに登場し、料理の作り方、靴の磨き方、途上国での公共交通機関の使い方などを説明する人々の語り方に不自然なものを感じるからです。つまり、彼ら/彼女らは、普段の生活で誰かに語りかけるときには決して認められないような、無駄に昂揚した調子で視聴者に向かって語りかけているのです。画面に登場するときの「テンション」が不自然に高いのは、日本人ばかりではありませんが、少なくとも日本人、特に男性の語り方は、かなりの確率で不自然です。
また、私の狭い経験の範囲では、動画において取り上げられたテーマの「専門性」が低いほど、動画に登場する人物の「テンション」が高く、反対に、話題が専門的になるほど「テンション」が抑えられる傾向が認められます。前者に含まれるのは、料理の作り方、観光地の案内、飲食店のレビューなどの動画であり、後者に該当するのは、医療情報、電気器具の修理方法、楽器の演奏法などの動画です。昂揚した調子で語ることは、動画の内容への信頼をむしろ損ねるのではないかと、私などは予想していたのですが、世間では、無駄に「テンション」の高い語り方は、違和感なく受け容れられているようです。動画で語る人々のテンションが無駄に高いこと、そして、私にとっては、これが世間から違和感なく受け容れられているらしいことは、ながいあいだ謎でした。
最初のうち、私は、動画に登場する人々の語り方が不自然であるのは、カメラの前で語ることに慣れていないせいであろうと考えてきました。動画の数が増えて行くとともに、その「テンション」もまた、普段の生活のレベルに近づいて行くに違いない、とも予想していました1 。(後篇に続く)
- 私自身は、この2年間、授業のために大量の動画を作ってきましたが、カメラの前では普段と同じ調子で話しています。学生を前にして行う授業でも、話し方は普段と変わりません。 [↩]