Home やや知的なこと 陰謀論とアドホックな仮説(その2)

陰謀論とアドホックな仮説(その2)

by 清水真木

 ところが、陰謀論というのは、科学とは反対に、「ディープステートが世界を支配する」という認識の枠組を決して放棄しません。むしろ、どのような出来事が視界に姿を現しても、既存の枠組にもとづいてこれを説明しようとします。そして、そのために繰り返し導入されるのが、科学哲学において一般に「アドホックな仮説」(ad hoc hypothesis) と呼ばれるものです。アドホックな仮説とは、特定の事実を説明するためだけに導入されるその場しのぎの仮説のことです。

 残念ながら、私は、「ディープステート」に関する陰謀論には不案内のため、陰謀論がどのようなアドホックな仮説を要請するのかわかりません。

 そこで、アドホックな仮説を必要とする歴史上もっとも有名な「理論」、つまり「天動説」を例としてこれを説明します。

 天動説は、17世紀以前、約2000年にわたりヨーロッパにおけるもっとも支配的な宇宙の理論でした。地球が宇宙の中心に位置を占め、他の天体は地球を中心とする軌道上を公転しているというのが天動説の枠組となる宇宙観です。

 しかし、誰が考えてもすぐにわかるように、この枠組は、そのままでは、天体観測の結果とは合致しません。そこで、観測の結果に合わせて理論の枠組を見直すのではなく、反対に、そのままでは説明が難しい結果が観測から得られるたびに、もとの枠組に合うよう特定の観測の結果を説明する仮説を「あとから」導入します。もっとも有名なのは、火星の逆行を説明するために導入された有名な「周転円」(epicycle) に関する仮説です。

 1年間のある時期に火星が本来の方向とは反対の向きに動くという現象を受け、昔の天文学者たちは、天動説自体の修正に向かうのではなく、「この事実を天動説の枠組で説明できるような仮説をひねり出す」という方向に解決を見出そうとしました。これが「周転円」です。天動説は、これ以外にも膨大な数の「アドホックな仮説」をその都度産み出すことにより、天体および宇宙に関する途方もなく複雑な——増築を繰り返した旅館のような——理論として2000年のあいだ生き延びたのです。

 もちろん、自分が前提とする枠組に合わない事実が姿を現すたびに、その事実を解釈するためだけの新たな説明を際限なく導入し続けるわけですから、天動説がそれ自体として破綻することは決してありません。21世紀の現在では、平均以上の科学的な知識を具えているかぎり、天動説を宇宙に関する科学的な理論として信じることはありませんが、それは、天動説が破綻したからではなく、むしろ、天動説を支えてきた知の枠組が全体として大きく変質し、「天動説のような面倒くさい『理論』が不要になった」からにすぎないのです。この点において、天動説と神話のあいだに違いはありません。

 「ディープステート」に関する陰謀論についてもまた、事情は同じです。陰謀論は、天動説と同じように、新しい事実に関する説明を求められるたびに「アドホックな仮説」を際限なくひねり出し、「アドホックな仮説」を取り込むことによりみずからを太らせて行きます。陰謀論が終わりを迎えるとするなら、それは、「アドホックな仮説」のせいで、その「教義」があまりにも複雑になり見通しのきかないものとなって、「しもじも」が脱落を始めたときでしょう。(つまり、現在は陰謀論に夢中になっている者たちが、世界を陰謀論的に説明することに飽きてくるときでしょう。)

 しかし、2022年現在、この陰謀論は、まだ成長の途上にあるように見えます。あと数年のあいだは、陰謀論は、「アドホックな仮説」を吐き出すことによって太り続けるでしょう。

 けれども、陰謀論は、10年以内に、何とはなしに飽きられ、忘れ去られるはずです。そして、50年も経つころには、「21世紀前半に流行したトンデモ理論」のようなものとしてテレビで面白おかしく取り上げられているのではないかと私は予想しています。

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