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面接への疑問について(その2)

by 清水真木

※この文章は、「面接への疑問について(その1)」の続きです。

 したがって、面接に「よくある質問」がいくつかあり、面接における高い評価なるものがこの質問に対しよどみなく答えることによって獲得されるものであるなら、そして、誰が目の前にいても答えが同じであるなら、面接試験のために受験者を引きずり出すなど、単なる儀式にすぎず、時間の無駄以外の何ものでもありません。事前に書面で提出された答えは、それだけで評価のための十分な材料となるはずです。むしろ、面接者にとっては、受験者1人ひとりから「目の前にいるのはあんたでなくてもいいんだよ」と無言で繰り返し告げられ、神経をすり減らされるよりも、「よくある質問」の答えを書面で提出させる方が、精神衛生上よほど好ましいと私は考えています。

 また、私自身の面接の経験の範囲では、「事前に記憶した答えの棒読み」のレベルを超え、今では、事態はさらに悪化しているように思われます。受験における面接対策が悪い意味で「充実」したせいなのでしょう、受験者が「面接者が重視しているはずの質問」なるものの範囲を勝手に決めて面接に臨んでいるようなのです。

 たとえば、「志望理由」「学習計画」「課外活動の実績」などに関する質問によどみなく答えることは合否にかかわるが、これら以外の質問は合否とはあまり関係がない——どのような根拠にもとづくのかわかりませんが——とあらかじめ決めつけた受験者は、自分が答えを用意してこなかったことを問われると、その答えが途端に投げやりになり、場合によっては、態度まで悪くなります。(予想外のことを尋ねられて露骨に不快な表情になった受験者を見たこともあります。)

 たしかに、筆記試験では、配点が大きいはずの問題に最優先で答えることには戦術上の意味があります。しかし、面接の場合、事情は異なります。

 冷静に考えれば誰でもわかるように、面接において重視されるのは態度であり、答えの内容ではありません。(上に述べたように、答えが重要なら、答えを書面で提出させる方がよほど合理的です。)面接者の質問の中には、「重要なもの」と「どうでもよいもの」の区別はありません。面接者とのあいだで普通の、自然な、礼儀正しい会話を成立させる意欲や努力というものが全体として評価の対象となるのであり、事前に記憶した模範解答の棒読みは、「支離滅裂な独り言よりはまし」であり、許容範囲であるにすぎません。

 とはいえ、最近では、文部科学省や世間が入試における「公平性」を強く求めます。このような傾向が続くかぎり、各大学は、誰が面接者でも結果が同じになるよう、質問の範囲と評価の基準を厳格に設定し、かつ、これらを他の大学と揃えることを余儀なくされます。今後、受験者に対する質問の範囲は、狭くなることはあっても広くなることはなく、予想外の質問は少なくならざるをえません。面接試験がその実質を奪われ空洞化するのは、避けられないことなのでしょう。

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