極端なことを言うようですが、私は、現在のわが国の教育制度において、中等教育、特に高等学校は不要であると考えています。
たしかに、(私には、個人的にはよくわかりませんが、)高等学校に通う経験には、無視することができない意義があるのかも知れません。しかし、それとともに、このような経験のうち、高等学校に通わなければどうしても与ることができないものは何もないような気がします。
第1に、中学校を卒業した生徒に対し、さらに3年間の普通教育、しかも、学習指導要領によって無理に標準化された普通教育を施すことが必要であるのか、私はこの点を大いに疑問に感じます。言い換えるなら、中学校を卒業した全国民が一律に習得すべきことなどない、それどころか、このような画一的な教育には害悪の方が大きいと私は考えます。
大学より下に位置を占める下級学校における教育が社会生活への積極的な寄与を使命とするものであるなら、中学校を卒業した者の大半にとって必要となるのは、現在の高等学校のような標準化された普通教育などではなく、言葉のもっとも広い意味における「職業教育」であるはずだからです。
一方において、高等学校の数は可能なかぎり減らし、大学に進学して専門的な研究に従事する可能性のある少数者を教育する特殊な「進学予備校」へとその役割を限定すること、他方において、高等学校に代わり、高等専門学校の数と種類を拡大させるのが適当であり、また、わが国の将来のためでもあると私は信じています。
第2に、そもそも、現在の教育制度のもとでは、高等学校に通う積極的な意義がないばかりではなく、高等学校に通わないことによる不利益というものもまた、見当たらないように思われます。私のこの意見は、ことによると、「高校を卒業しないと大学に進学できないじゃないか」という反論をただちに惹き起こすかも知れません。しかし、この反論は見当違いです。なぜなら、歴史をどれほど遡っても、わが国の教育制度において「大学への進学にとり高等学校の卒業が必須」であった時代などないからです。何らかの理由により高等学校に通わないことを選択した者は、国が定める筆記試験に合格することにより、大学に進学する資格を手に入れればよいだけであり、明治から現在まで、この道はつねに開かれているのです。
もちろん、戦前の専検(専門学校入学者検定規程)や高検(高等学校高等科入学資格試験規程)は、高等教育機関への入学資格を与える試験であったとはいえ、合格率が非常に低く、よほどの事情がないかぎり、「学校に普通に通う」方がはるかにラクでした。
また、これらの筆記試験を継承する形で戦後に誕生した大検(大学入学資格検定)もまた、もっとも多いときは16科目に合格することが必要でした((高等学校に一度も通わずに受験した場合です。高等学校で取得した単位がある場合、これに応じて受験を免除される科目があります。))。これなら、高等学校に3年間通う方が大検よりもラクであると言えないことはありません。(後篇に続く)