学生の成績をどのように評価すべきか、これは、私のように教えるのが得意ではない教師にとってはつねに悩みの種です。2021年7月現在、私の大学教師歴は27年目になりますが、それでも、「正解」と呼べるものをいまだに見つけられず、成績評価の方法を毎年のように変えています。
とはいえ、これだけながく教師を続けていると、経験的にわかってくることがいくつかあります。「成績は、分割するほど差が開く」というのは、その1つです。
「学期末の1回だけの筆記試験で成績を決めると、運悪く点がとれなかった学生に挽回のチャンスがない。だから、普段の勉学態度に一定の配点を割り振り、筆記試験に平常点を加味することで偏りのない評価ができる。」このような意見を聴いたことがある人は少なくないと思います。また、この意見は、それなりに多くの人々の賛同を得ているのかも知れません。
とはいえ、この措置から公正な成績評価が帰結するかどうか、この点について適切に判断するためには、まず、複数の観点から学生を評価することにより何が起こるかを知らなければなりません。それでは、何が起こるのでしょうか。
成績評価のために与えられた100点を60点と40点に分割し、それぞれ筆記試験と平常点に割り振ります。そして、筆記試験と平常点を独立に採点し、その後、合算して100点満点とします。
この操作において、次の事実がただちに明らかになります。それは、筆記試験の得点と平常点の得点が比例することです。言い換えるなら、筆記試験のできが悪い学生は、ほぼ例外なく、平常点もまたよくない、ということです。
したがって、大抵の場合、複数のチャンネルで成績を評価すると、全体の平均点が下がり、かつ、履修者全体が、少数の成績優秀者と多数の成績不良者に二極分解します。(両者のへだたりがあまりにも大きいときには、「平常点を無視する」ことで成績を調整しなければならなくなります。平常点を考慮しない方が点がよくなる学生が圧倒的多数だからです。)もちろん、筆記試験の失点を平常点で挽回する学生が皆無というわけではありませんが、私の26年の経験の範囲では、その数はほぼゼロです。
普段から勉強しない学生は筆記試験の成績も悪い、という当たり前の事実を確認するだけのこの結果を「公正な成績評価」と見なすかどうかは、意見が分かれるところであろうと思います。しかし、少なくとも、複数の観点から学生を評価する試みが、「筆記試験はパッとしないが、実は真面目に勉強している学生」を救済する手段にならないことは確実です。