Home 世間話 いわゆる「模擬天守」について(前篇)

いわゆる「模擬天守」について(前篇)

by 清水真木

 以前、次のような記事を書きました。

 私は、廃墟が大の苦手です。しかし、そればかりではなく、「遺物」一般をあまり好みません。この場合の「遺物」とは、たとえば江戸時代の武将の甲冑や明治時代の偉人(とされる人物たち)の遺品、その地方でかつて使われていた農機具など、地方の博物館が好んで展示するようなもの全般を指します。

 数年前、ある関西地方の中小都市を訪れたとき、このような地方の博物館を訪れる機会がありました。駅の近くに、その町と同じ名前を与えられた「城」があり、帰りの電車までに少し時間があったため、その「城」に立ち寄ったのです。

 地方中小都市にある「城」の多くと同じように、この「城」もまた、第二次世界大戦後に再建された鉄筋コンクリート造の天守閣です。そして、これもまた再建された天守閣の多くがそうであるように、その内部は、城およびその地域に関連する「遺物」を展示する博物館でした。

 私自身は、天守閣の「再建」の是非について、特別な意見を持っていません。ただ、「模擬天守」は論外であるとしても、明治時代にまでに天守閣が解体されたり焼失したりしたのち、少なくとも1世代以上のあいだそのままの——たとえば基礎の石垣だけが残された——状態が続いていたのなら、天守閣は再建せず、天守閣の跡をそれ自体として保存する方が好ましいように思われます。すでに「天守閣がない」ことに私たちが慣れており、周辺の生活環境もまた、天守閣がないことを前提に形作られてきたはずである、というのがその理由です。天守閣が新たに建設されても、これが人々の目に馴染むまでには相当な時間——少なくとも1世代以上——が必要となるはずです。この点は、日本橋の上の首都高速道路について、以前の著書の中で言ったとおりです。

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