「『哲学とは何か』を問うことは、哲学の遂行にとりどのくらい大切であるのか。」この問いに完全な形で答えるためには、この問いに属する3つの問いを問うことが必要となるように思われます。すなわち、哲学の名を与えられた実践を形作る「問う」こと、「哲学とは何か」を問うこと、そして、「哲学とは何か」を問うことの意義を問うことです。
まず、哲学には、何らかの問うことが否応なく属しています。そして、哲学とは何かを問うことができるためには、何よりもまず、問われる当のものとしての哲学、つまり、一種の実践としての哲学について、その都度あらかじめ何らかの経験を持っていることが必要です。というのも、哲学したことがない者には、哲学の意味を問うことは不可能であり、この問いに答えを与えることもまたできないからです。
続いて、私たちがその具体的な姿を熟知している哲学の遂行に対し、メタレベルにおいて「哲学とは何か」という問いが問われなければなりません。
そして最後に、メタレベルにおいて問われた「哲学とは何か」という問いの価値を問うことが可能となります。もう少し正確に言うなら、「哲学とは何か」という問いと哲学の実践との関係がようやく問われることになるのです。
哲学史的に見るなら、みずからの哲学の遂行の経験を手がかりに、哲学の意味を規範的な仕方で明らかにする試みが多くの哲学者のもとに認められることがわかります。
この試みにおいてもっとも重要な位置を占めるのはヘーゲルです。なぜなら、ヘーゲルは、「哲学とは何か」という問が哲学自身によって問われるべき最初の問いであり、最後の問いでもあることを強調するからです。