※この文章は、「「自称『普通の人』が日本を滅ぼす」という意見について(前篇)」の続きです。
そもそも、政治というのは、言葉のあらゆる意味における「普通の人」の常識を持ち込んではいけない領域であると私は考えます。政治の世界における決断は、自分ひとり、あるいは、自分の周囲の数人にのみ影響を与えるものではなく、何十万人、何億人、いや、場合によっては全世界の人々の運命を変える可能性がないとは言えないからです。
当然、政治家にとり——選挙によって選ばれた以上、ある程度の「説明責任」を負うとはいえ——「普通の人」であることは必要ではないばかりではなく、好ましいことでもありません。1989(平成元)年に消費税が導入される前、当時の日本社会党を中心とする左派政党が、普通の「主婦」の感覚を盾に消費税に強硬に反対していました。このことを覚えている人は少なくないと思います。
なお、私自身は、消費税を肯定的に評価します。基礎的財政収支の均衡のためなら税率を一時的に30パーセントくらいまで引き上げてもかまわないとすらひそかに考えてきました。今でも同じように考えています。
私は、自称「行き過ぎた『財政タカ派』」であり、自分の立場に問題があることは自分でよく承知しています*1。ことによると、近い将来、税制の大規模な見直しを求める声がどこかから挙がるかも知れません。*2。
それでも、財政に「主婦」の感覚を反映させるなど、決して許してはならないという点については、今も昔も私の意見に変化はありません。国家の財政と家計では、その性格も規模もまったく異なるからです。「家計の黒字化」に成功した主婦の意見に耳を傾けても、日本の経済は混乱するだけでしょう。
「普通の人」や「主婦」にそれなりの生活の智慧があることを私は否定しません。自称「普通の人」のうち少なくはない部分は、職場や家庭において、それなりにバランスのとれた意思決定により生活の質を維持、向上させてきたという自負を持っていると予想することができます。(実際、各種の調査により、「普通の人」を自称し「ネトウヨ」に分類される人々が決して貧困層には属していないこと、現実に対する不満にもとづいて近隣諸国やマスコミを攻撃しているわけではないことが確認されています。)
そして、現実の生活において獲得されたこのような自負があるからこそ、社会全体のレベルでも自分の判断に自信を持っているのかも知れませんが、残念ながら、その自信には根拠がありませんし、政治には通用しません。「普通の人」であり「主婦」であることは、社会について発言するためのいかなる資格にもならないばかりではなく、むしろ、社会的な問題の解決にとってはノイズにしかならないのです。
*1:これは経済学の完全な素人による単なる想像ですが、消費税率を30パーセントまで実際に引き上げることにより——たとえば急激な信用収縮のような——個人消費の落ち込みとは別の何らかの原因により経済全体が危機に陥るような気がします。
*2:さらに現実離れしたことを言うなら、私は、介護保険については、制度自体に反対です。介護を社会全体で担うという趣旨との関係において、現在の制度は、万事があまりにも中途半端だからです。