私は、幕末に活躍した「志士」と総称される人々、つまり倒幕のために奔走し、明治維新に功績のあった人々を——婉曲な表現を使うなら——苦手としています。少なくとも、私にとっては、彼らがもっとも共感から遠い歴史上の人物たちであることは確かです。
私が彼らに共感することができないのは、私の「歴史観」に部分的な歪みがあるからです。もちろん、普段の生活では、この歪みに気づく機会はほとんどありません。これに気づくのは、幕末から明治初期のわが国の歴史が意識に上り、明治維新がすばらしい出来事として記述され、特に「薩長土肥」の志士たちの活躍と功績が手放しで賞讃されるのを目にしたり耳にしたりするときです。私は、志士たちに対するこのような評価に違和感を覚えます。
もちろん、明治という時代を作り上げた人々に特別な才能があったこと、また、危機感と努力がその活躍の背景にあったことは私にも理解することができます。実際、明治維新が成し遂げられなければ、わが国は19世紀のうちに消滅していたかも知れません。
それでも、私は、志士の活躍に対する手放しの賞讃には抵抗を覚えます。その原因は単純きわまる偏見です。すなわち、私の先祖に当たる清水家の人々は、江戸時代を通じて幕臣であり、したがって、戊辰戦争で「負けた」側、つまり、明治維新で「割を食った」側に属していたからです*1。
清水家が明治維新を迎えたのは、私の4代前です。ある意味において当然のことながら、清水家は全員、私を含めて例外なく「薩長」が大嫌い*2であるとともに、「徳川家」には親近感を抱いていました。
また、少なくとも私よりも上の世代は、大政奉還以降、「薩長」が作った野蛮な社会秩序に否応なく組み込まれ、不当に苦労させられているというボンヤリとした感じとともに日々を過ごしていたように思われます。
この感じは、明治から大正、昭和、平成、そして、令和へと時代が下るにつれて少しずつ薄らいできたものの、現在でもまだ、私はこれを微妙に引きずっており、幕末や明治維新が話題になるたびに、この感じを想起します。私の歴史観の歪みは、この感じの反映なのでしょう。
私は、旧幕時代の方がよかったなどということを主張するつもりは一切ありません。また、私の歴史観、明治維新観への同意を他人に求めるつもりもありません。
それでも、明治維新ではそれなりの数の「敗者」が生まれたこと、その大半が、山口昌男が『敗者の精神史』において取り上げた人物たちのように新たなオルタナティヴを切り拓く才覚も体力もなく、そのまま歴史から姿を消して行ったこと、今から約150年前の明治維新を肯定的な出来事として素朴に記述する前に、このような事実に対し少しだけ注意を向けてもよいのではないかと思うのです。
*1:すべての「志士」のうち私がもっとも苦手とするのは坂本龍馬です。高杉晋作や西郷隆盛を始めとする重要な人物たちについては、共感はできないとしても、その努力や先見の明を評価することに特別な困難はありません。しかし、坂本龍馬については、どこが偉いのか、なぜ歴史に名を遺しているのか、私には理解不可能です。このような人物が評価されるところに、明治維新の「貧しさ」があるような気がします。
*2:「薩長」が嫌いなすべての人々と同じように、会津と「白虎隊」にはかぎりない共感と同情を覚えます。