電車に乗って少しでも遠方に出かけるとき、私は、できるかぎりグリーン車を使うことにしています。
以前——と言っても、昭和の話ですが——は、国立大学の教官の出張に当たり、「教授」にはグリーン料金が支給されていたようです。しかし、現在は、特別な役職者を除き、国公立大学でも私立大学でも、出張旅費からのグリーン料金は支出されないのが普通です。当然、私の場合もまた、電車に乗る名目には関係なく、グリーン料金はすべて自己負担です。
国立大学の教授の出張にグリーン料金が支給されていたのには、品位の保持という明確な理由がありました。
たしかに、現在の国立大学の教授の社会的なステータスについては、人によって見方が異なるかも知れません。国立大学の教師に品位など求めない人も、おそらくいることでしょう。
ただ、少なくとも、昭和の時代にグリーン料金が支出されていたことから、少なくとも当時の政府が、官立大学の教授には(給与が非常に低く抑えられていたにもかかわらず、)守るべき「品位」があると考えていたことがわかります*1。
品位の保持というのは、移動手段の選択において重要な観点であると私は考えています。グリーン車と乗客の社会的な地位とのあいだに認められるのは、「グリーン車にふさわしい社会的な地位にある者がグリーン車を使う」という単純な関係ばかりではありません。両者のあいだには、「ある職業の乗客にグリーン車を必ず使用させると、その乗客の社会的な地位がグリーン車にふさわしいという共通了解が生まれ、今度は、この共通了解が乗客のふるまいをグリーン車のにふさわしいものに変える」という複雑で再帰的な関係が認められるはずなのです。実際、国立大学の教授なら、最低料金の座席ではスポーツ新聞を読むことに抵抗を感じないとしても、グリーン車の乗客となったときには、他人の潜在的な目を気にして、いくらか格調の高いふるまいを心がけるのではないかと私は予想します。
国立大学の教授が出張するときには、電車ではグリーン車以上の座席を必ず使用し、国際線の飛行機に搭乗するときにはビジネスクラス以上の座席を必ず使用するよう、省令や政令で義務づけてもかまわないのではないか、などと妄想しています。
前に、勲章は、受勲した者に悪いことをさせないために与えられるべきであるという意味のことを書きました。(下に続く)
勲章と同じように、出張旅費は、待遇を改善するとともに、品位ある行動を促すための(給与を引き上げるよりもはるかに)安上がりな手段であると私は考えています。
私自身もまた、自分の行動について最低限の品位を保持することを期待して、グリーン車を使うよう心がけています。
*1:なお、現在でも、国立大学を定年で退職して名誉教授になった者は、それだけで、よほど破廉恥な人物でないかぎり、自動的に勲三等以上の叙勲の対象になります。もちろん、私立大学の名誉教授が自動的に受勲することはありません。