2020年の春から、大学で開催される会議の多くにオンラインで参加することが可能となりました。明治大学の場合、一般の教職員が出席するような会議ではZoomが用いられ、会議の性質と規模によっては、会場が用意されず、Zoomのみで開催されることもあります。
そして、2020年春以降、このような状況の変化を受け、私の周囲にいる人々は、次の2つのグループに大きく分かたれることになりました。
すなわち、学内に会場が用意され、対面による出席が可能な会議でも、オンラインによる参加という選択肢があるかぎり、すべてオンラインで参加すると決めている人々と、反対に、対面での参加の可能性があるかぎり、原則としてすべての会議に対面で参加し続ける人々の2つに大きく分かたれました。私に見える範囲では、オンラインと対面を自由に選ぶことができる会議の場合、およそ2対1でオンライン派が多数を占めています。
これら2つのグループのうち、私は後者、つまり、少数派に属し、2020年の春以降、対面で参加できるかぎり、原則としてすべての会議に対面で参加してきました。オンラインによる会議が苦痛を感じるからです。
私は、この2年間で合計10回くらい、オンラインのみの会議に出席しました。しかし、誰が考えてもわかるように、会議にオンラインで参加する場合、画面の向こうにあるはずの会議のための(仮想の、あるいは現実の)空間の秩序は、私が現実に身を置く空間の秩序の延長上に形作られたものではありません。両者のあいだには、明瞭な断絶があり、会議にオンラインで参加する私は、これら2つの秩序のあいだをたえず往復することを余儀なくされます。私は原始的なのでしょう、このような往復に身体が適応せず、画面を眺めているうちに、気持ちが悪くなることがあります*1。オンラインの会議への参加、特に、対面による参加が可能な会議へのオンラインによる参加は、精神衛生上決して好ましいことではないと私は考えています。
実際、ある程度以上の規模の——たとえば出席者が全部で数十人になるような——会議の場合、オンラインでの参加者の多くは、画面越しに届く声を他人事として受け止め、「出席者」というよりも「観客」のような態度で会議に臨んでいるように見えます。しかし、このような事態は、あらゆる会議において好ましいことではないように思われます。
私自身は、「オンラインに耐えられない」というどちらかというと消極的な理由により、会議にはできるかぎり対面で参加し、会議の空間に身を置くことにしています。
2022年も、また、ことによると、新型コロナウィルス感染症が完全に終息したのちも、会議や授業へのオンラインによる参加という選択肢はそのまま残されることになるのかも知れません。しかし、私は、少なくとも私自身が主宰するのではない会議には、身体を会場に運ぶことで出席したいと考えています。
*1:Zoomを用いたオンラインの授業でこのような気分の悪さを覚えないのは、オンライン空間が私のコントロールのもとにあるからであると考えることができます。