昨日、次の記事を読みました。
私は、京都には地縁も血縁もありません。旅行で京都を訪れたことは何回もありますが、京都で暮らしたり、京都で働いたりしたことはありません。また、寺社巡りを趣味としているわけでもありませんし、宗教法人の経営に詳しいわけでもありません。この意味において、私は、京都にとっては完全なよそ者です。
それでも、京都の神社仏閣に対し新たに課税すべきではないことくらいは、私にもわかります。寺社の維持には途方もない費用がかかるからです1 。建物や土地を維持し管理するコストの他に、宗教施設の由来や性格によっては、文化財を管理したり、必要な人材を雇用したりするのに費用が必要になるかも知れません。
もちろん、地元の住民しか訪れないような名もない地域の名もない寺社ならば、メインテナンスの目標は、最低限の体裁を整えることに求められるでしょう。老朽化し、補修に費用がかかるようになった構造物については、建て替えも不可能ではないかも知れません。このような宗教施設は、維持、管理に柔軟な態度で臨むことができるのです。
しかし、京都にある神社仏閣は、単なる宗教施設にとどまるものではありません。それは、京都の風景を形作る物理的な構成要素であるとともに観光資源でもあり、したがって、メインテナンスの目標は、〈昔の姿を維持する〉ことに求められなければなりません。
このような事情のせいで、各種のガイドブックに掲載されるような有名な寺社が維持、管理に投じている費用は、信仰の必要をはるかに超えるものとなります。これは、信仰のコストであるというよりも、むしろ、本質的には、世俗的なコスト、具体的には、「京都に立地していることに由来する社会的要請」によるコストであると言うことができます。(後篇に続く)
- メインテナンスのコストは、構造物の年数に比例して幾何級数的に増加して行きます。 [↩]