一昨年の夏、次のような事件がありました。
私は、芸能界とスポーツ界の出来事にはほとんど興味がありません。この事件もまた、関連するニュースの見出しがネットニュースに繰り返し現れることがなければ、私はこれを知らないままであったに違いありません。この事件が世間の人々にショックを与えるような性格のものであることは確かであるとしても、私の毎日の生活がこの事件の影響を受けるわけではなく、この意味において、それ自体としては、私にとっては「どうでもよい」出来事であると言うことができます。
ただ、野次馬的な好奇心にもとづいて記事を読んだとき、私は、不倫相手の女性の発言とされるものにある違和感を覚えました。
すでにこの件では、「女性は決して被害者ではなく、むしろ、加害者であり、謝罪すべきではないか」という意見が散見します。
たしかに、ある意味においてその通りであるに違いありません。
しかし、それ以上に私が違和感を抱いたのは、この女性が相手の男性の芸人のふるまいに相当な嫌悪感を抱いており、それにもかかわらず、男性の要求に従い続けたという点です。
この女性の発言をめぐる私の最初の感想は、「それほど不快なら関係を続けなければいいのに」「嫌なら付き合うのをやめればいいのに」というものでした。(この女性が問題の芸人に経済的に従属していたのなら、話はまた違うかも知れませんが、記事のかぎりでは、このような事情はわかりませんでした。)
さらに不思議なことに、少なくとも私が知るかぎりでは、この点について、私と同じ意見をネット上で見つけることができませんでした。もちろん、「お前が男女関係の機微を知らないだけだろ」と言われれば、そのとおりであるのかも知れません。おそらく、私のような散文的な人間にはうかがい知ることができない闇がここには横たわっているのでしょう。(後篇に続く)