私は、会社員を苦手としています。また、会社員が増えることは、わが国の民主主義にとって好ましくないと信じています。これは、以前に書いたとおりです。
ところで、会社員たちのおしゃべりにおいて使われることが多い表現に「うちの会社」があります。
自分が所属している集団を「うち」という言葉で指し示すことは、帰属意識を反映する言葉遣いであるように見えます。
たしかに、企業の身になるなら、自分が雇用している社員に「この会社」と呼ばれるのは、気持ちのよいものではないはずです。なぜなら、何かが「この」という言葉とともに指示されるとき、この「この」は、指示される当のものが自分から分離可能であるという了解を反映する表現となるからです。「この」は、自分が空間的、社会的な近接関係を指し示すだけであり、所有や愛着の表現ではありません。自分が帰属する会社を指し示すのに「この会社」が使われるとき、この表現には、「今はここに身を置いているけれども、都合が悪いことが起こったら、さっさと出て行く、経営が危うくなっても会社のために努力するつもりはない」という意味を含むものとして他人の耳に届くはずです。
ある国民が自国を指し示すのにもっともふさわしいのは、「わが国」という表現です。同じように、会社員が自分の帰属する集団を指し示すのにもっとも適切な表現は「わが社」であるに違いありません。
なお、私自身は、日本を指し示すのに「この国」という言葉を使わないと決めています。右翼や国粋主義者と思われようとも、私は、日本を「わが国」と呼びます*1。
それでは、自分が帰属する会社を「うちの会社」と呼ぶことは適切なのでしょうか。これは——状況によっては使うことができないため、単純な同義語ではないとしても——「わが社」と同等の表現と見なすことができる表現でしょうか。
*1:これは土田杏村を読んでいて知ったことですが、すでに1930年代には、日本を指し示すのに「わが国」という表現を使うと、「右翼」「国粋主義者」と受け取られるのが普通であり、また、このようなレッテルを貼られることをおそれ、あえて「この国」という言葉を使う——土田によれば、日本を「この国」と呼ぶのは共産主義者の特徴です——者が若い世代には少なくなったようです。