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「手間のかかるインターネット」について

by 清水真木

 ネット上での発言が多くの人々の注意と反応を否定的な形で惹き起こすとき、これは「炎上」と呼ばれます。

 24時間365日、サイバー空間、特にSNSのどこかで、炎上の原因となりうるような情報が発信され、そして、実際に——規模は区々であるとはいえ——たえず何らかの炎上が発生しています。

 炎上の中には、公表する前に慎重に検討する必要があるはずの情報、特に非常識なふるまいや、厳密には違法行為に分類されるようなことを文字や画像の形で不用意にさらすことで発生するものがあります。いわゆる「バイトテロ」はその代表です。 

 もっとも、バイトテロがバイトテロとなり、威力業務妨害罪や偽計業務妨害罪に問われるのは、これらが公表されるからであるばかりではなく、そもそも、公表を目的とするものだからです。公表する可能性が完全に閉ざされているかぎり、最初から実行されることすらなかったはずです。

 しかし、炎上の原因は、サイバー空間が公共の空間であることすら理解することができないような者たちによって作られるばかりではありません。常識の範囲内の意見を礼儀にかなった仕方でSNSに投稿したにもかかかわらず、この意見がなぜか大量の人々の神経を逆撫でし、そして、誹謗中傷の洪水を作り出すきっかけになることがあります。(私自身、ずいぶん昔、小規模な形でこれを経験し、これに懲りてネット上での発信をしばらくのあいだ完全にやめていたことがあります。)

 このようなタイプの炎上を防ぐことは容易ではないように見えます。現実の問題に関するかぎり、唯一の正解などというものはありません。あるのは、それぞれ異なる観点から表明された複数の意見と、これらの意見のあいだに認められる引力と反発力の星座だけだからです。

 20世紀末から21世紀初めには、サイバー空間を新たな公共圏と見なし、インターネットの未来を明るく描く人が少なくありませんでした。しかし、現在のサイバー空間は、「商業主義的にコントロールされた無秩序」(?)によって支配されており、そのせいで、かつてサイバー空間に夢を抱いていた人々の多くは、冷静で合理的な公論形成の場をネット上に求めることを諦め、シニシズムに陥っているように見えます。

 たしかに、ネット上で発言するのに必要であるはずのあらゆるリテラシーを欠いた者たちによってサイバー空間が占拠され、このような者たちに最適化された仕組が作り上げられてしまった以上、合意形成の場としてこれを生まれ変わらせることは、絶望的に困難であるように思われます。

 ただ、1つだけ救いがあるとするなら、それは、サイバー空間へのアクセスの主な手段がスマホになったせいで、多くの日本人がある意味において「無精」になったことでしょう。人々がネットに費やす時間と注意の大半がSNS(ツイッターやインスタグラムやYouTubeなど)に奪われ、平均的な「ネットユーザー」の行動がSNSの内部で完結し、その結果、少なくとも私の経験の範囲では、SNSの外部に横たわる広大なネットの言論空間に足を踏み入れる者が相対的に減ったように見えるのです。

 スマホでSNSの内部を回遊し、断片的な映像や文字情報をついばむことに慣れた者には、ツイッターに投稿された細切れの発言には敏感に反応することができるかも知れません。しかし、検索エンジンを使って誰かのブログに辿りつき、数百文字から数千文字の文章を時間をかけて読んでこれを論評する根気を持ち合わせている者は、ごく少数にとどまるはずです1

 しばらく前、ネット上で「遅いインターネット宣言」という短い文章を見つけました。私は、この文章の趣旨には全面的に賛成です。

 そして、インターネットが「遅い」ものになりうるとするなら、そのプロセスは、平均的なネットユーザーにとり、インターネットが「手間のかかる」ものになることから始まるものであるように思われます2 。サイバー空間を全面的に正常化することは将来にわたって不可能でしょう。しかし、広大な空間の内部に、冷静な議論のための「島」あるいは「島々」を作ることなら、近い将来、案外簡単に実現できるようになるかも知れない、私はこのように考えています。

  1. もちろん、私は、このような根気(とリテラシー)を必要する経験のための空間としてネットが組織されるのが適当であると考えています。 []
  2. ツイッター上のリンクをただ1回クリックするよう求めるだけでも、現状ではすでに、それ自体が、よくも悪くも、ネット上での経験へのアクセスに対する十分なバリアとなっているような気がします。 []

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