8月にパラリンピックが終わったころから、新型コロナウィルス感染症の感染者数が減少し始めました。夏の終わりから感染者数が減ることは、何となく予想されていたことであり、したがって、私は、この点を特に意外には感じませんでした。
ただ、その後の感染者数の変化の予想は、今のところ現実のものとはなっていません。というのも、秋の初めには、冬の訪れとともに感染者数がふたたび増加するという予想が支配的であり、しかし、実際には、12月になっても感染者数は少ないまま推移しているからです。今後、冬が終わるまでこの状態が維持されるのか、それとも、いずれかの時期に感染者が急速に増えることがあるのか、これは、私にはまったくわかりません。
感染者数に関する当初の予想が外れたことは、それ自体としてはよろこばしいことであるには違いありません。ただ、そのせいで、新型コロナウィルス感染症の現状について、世間の評価が大きく2つに分かれているように思われます。そして、現状に関する共通了解がないせいで、現在のところ、社会生活にさまざまな場面に「電流が走っている」ように私には感じられます。
世の中には、感染者数の減少を額面どおりに受け取り、新型コロナウィルスに対する警戒を解き始めている人々がいます。このような人々は、感染症の流行以前と同じように、繁華街に繰り出し、飲食店でマスクを外して食事し、人混みを歩きます。おそらく、今年の年末年始には、忘年会や新年会に多くの人々が集まるのでしょう。
先週、所用があって銀座を訪れ、街を少し歩きました。平日の午後にもかかわらず、アップルストアや木村屋の店内は客で混み合っており、松屋や三越の地下は大変な混雑でした。銀座の人出は、外国人が少ないことを除けば、パンデミック以前と大して違わないように見えます。私は、この光景に驚くとともに、銀座の街の人出に驚き、また、少しだけ恐怖を感じました。
私が銀座の街の人出に恐怖を覚えたのは、少ない感染者数を、人々の最大限の警戒の結果と解釈しており、現状に危機感を抱いているからです。そして、現状をこのように理解するかぎり、感染者数が減少しているからと言って繁華街に繰り出したり、飲食店で食事したりするなど、愚行以外の何ものでもなく、少なくとも来年の春までは、感染をふせぐ最大限の努力を続けること、特に、不要不急の外出は控え、「ステイホーム」(?)を続けるのが適当であることになります。少なくとも私はこのように考えており、また、世間でも、一定数の人々が現状を同じように受け止めているはずです。
感染者数の帰趨が決まるまで、今後しばらく、これら2つの見方のあいだの断絶を無視することはできないでしょう。たとえば、「感染への恐怖」は、会食や懇親会の誘いを断る正当な理由となるかどうか、「鼻出しマスク」や「顎マスク」を認めるかどうかなどをめぐり、意見が烈しく対立するに違いありません。