初めて書いた学術論文が活字になったのは、26歳のときです。それ以来、現在まで、私は、さまざまな文章を書いてきました。つまり、これまでの人生の半分以上を、何かを書いて暮らしてきたことになります。
いや、何かを書いて暮らしてきたというよりも、「何かを書かなければという強迫観念に囚われて暮らしてきた」という言うべきかも知れません。というのも、私は、自分に書くことができるものを、自分のスタイルとスピードで書いてきたのではなく、より幅広いテーマの文章を、より巧みに、より早く、より大量に書くことを最優先で追求し、そして、呻吟してきたからです。
そして、悪戦苦闘を続けているうちに、私には書くことができないタイプの文章があることが次第にわかってきました。私には、あるタイプの論文を書くことができません。また、いくら多くの読者を獲得するとしても、おのれを空しくし、何かの「客観的」な解説や紹介を文字にする作業にも耐えられません。さらに、残念ながら、どれほど努力しても、「より巧みに」「より早く」「より大量に」書くことはできそうもありません*1。
ただ、それとともに——まだ漠然とした形にとどまるとはいえ——私に書くことができるものの範囲もまた、少しずつ明らかになってきたように思われます。25年以上のあいだ、膨大な時間を費やして文章について見苦しい試行錯誤を続けてきた結果として、何が私の手もとに残されるのか、これを見きわめるために、努力をもう少し続けようと考えています。
*1:そもそも、私は、子どものとき以来、家族からも他人からも、文章を褒められたことが一度もありません。