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紙の手帳について

by 清水真木

毎年、年末が近づくと、翌年の日付があらかじめ印刷されたさまざまなタイプやサイズの手帳が発売されます。私の本務校でも、大学のロゴがカバーに印刷された小型の手帳が教授会で配布されます。

ただ、私自身は、普段の生活では、紙の手帳ではなく、Googleカレンダーを用いてスケジュールを一括して管理しています。Googleカレンダーを使うのは、これが便利だからではなく、紙の手帳をどうしても使いこなすことができず、数少ない重要な予定を書きとめて保存する場所が他に見当たらなかったからです。

そもそも、紙の手帳に予定を記入し、手帳を常時携行して予定を確認することが意味を持つためには、時間の使い方がある程度以上不規則でなければなりません。ところが、現在の私のように、拘束時間が少なく、かつ、判で押したように規則正しいスケジュールのもとで生活していると、手帳を眺めるまでもなく、予定は簡単にわかります。いや、それ以前に、手帳にわざわざ記入しなければならないことがほとんど何もないのです。

当然、手帳に何も記入されていなければ、手帳を見返す理由はなく、また、これを持ち歩く理由もありません。職場でもらった手帳をカバンに放り込み、そのまま、これを一度も開くことなく1年が経過してしまったこともあります。

もちろん、原稿の締め切りや、各種の手続きの締め切りなどは、どこかに書きとめなければなりません。しかし、このような日付は、一連の作業のデッドラインであり、したがって、その日付にいたる手順と一体のものです。日付には象徴的な意味しかなく、これをそれ自体として繰り返し確認する必要はないはずです。(その日付に何かが発生するわけではないからです。)

とはいえ、紙の手帳をGoogleカレンダーに置き換えても、ほぼすべてが空白である点において変化はありません。幸いなことに、私は、「手帳に空白が残っていると疎外されている感じがする」「予定が埋め尽くされていると生きている実感がある」などという意味不明な考え方に囚われてはいません。むしろ、予定がないという事実こそ自由であることの証であると考え、今の生活に大いに満足しています・・・・・・。

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