Home やや知的なこと 手も口も使わずに思考内容を出力することができるか

手も口も使わずに思考内容を出力することができるか

by 清水真木

しばらく前、次の記事を読みました。

 時間をかけて吟味したわけではありませんが、また、この研究の前提や最終的な目標もわかりませんが、この研究が、ある程度以上込み入った内容を、ある程度以上の精度で表現することを目指すのであれば、これは破綻することが避けられないと私は考えます。哲学の専門の研究者なら、普通はそう判断するはずです。

 (以下、あまり整理できていない形で論点を記します。また、記事を誤読している可能性もあります。適宜訂正、補足をお願いします。)

 記事の範囲では、この研究は、感じたり欲求したりするプロセスと、この感じや欲求を文字や音声に置き換えるプロセスという、2つの独立したプロセスを脳内で明確に区別することが可能であり、かつ、両者が重ね合わせ可能であることを前提としているように見えます。そして、後者の方のプロセスを肩代わりする(あるいは予測する)役割を機械やAIに期待しているようです。

 しかし、この枠組を前提とするなら、人間の思考をそのまま――つまり、自分で手や口を動かして書いたり喋ったりせずに――表現することができるためには、人間の脳内で何らかの信号として発生した感じや欲求は、言語の構造と1対1に重ね合わせ可能な仕方でその都度あらかじめ分節されていることが必要です。しかし、誰が考えてもすぐにわかるように、実際にはそのようになっていません。(むしろ、感じや欲求が言語的に分節されているのなら、そもそも2つのプロセスを区別する必要はないことにもなります。)

 また、もし脳内で発生する感じや欲求の信号がすでに言語的に分節されているとしたら、これを言い表すのにはただ1つの正しい表現があり、残りはすべて間違いになってしまいます。たとえば、空腹であることを伝えるときには”I am hungry”と英語で言わねばならず、「腹が減った」「何か食べたい」などは不適切な言い方と見なされなければならなくなってしまいます。また、”I” “am” “hungry”の3つの単語のそれぞれに対応するそれぞれ異なる信号が検出されることも必要になるはずですが、ソシュールを俟つまでもなく、言語というのは、そのようなものではありません。

 したがって、この記事において紹介されている研究は、脳内に発生した空腹のサインを”I am hungry”という文に変換すること、つまり、単純な感じや欲求とこれを表現する文の対応表を高い精度で作ることには成功するかも知れませんが、他から独立した体験に直に対応するものを持たない複雑な主張を――本人ですら言語化できてないかも知れないないのに――翻訳することは不可能です。

 もし思考の内容すべてを手や口を実際に動かさずに出力することができるなら、その場合、文字として出力されるメッセージは際限なく複雑になりうる代わりに、「思考の内容」、つまり、思い浮かべてよい事柄には厳しい制限が課せられるはずです。

 たとえば学術論文を「出力」しようと思うのなら、論文で取り上げるつもりの内容や自分の見解を漠然と思い浮かべるのではなく、論文の文字づら、つまり”in” “this” “paper” “we” “will” “discuss” “the” “problem” “of” などの単語を1つずつ、いや、1文字ずつ心に浮かべなければなりません。文字を思い浮かべることにより、まるで念写のように論文が1文字ずつ出力されて行くでしょう。(これは、つまり、口を使わない口述筆記です。)

 思考というのは、文字を組み合わせたり、音声を組み合わせたりする作業の中で同時進行的に製作されるものであり、脳内にあらかじめ格納されている「情報」を表現するものではありません。言葉を紡ぐことがそれ自体として思考なのです。

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