Home 世間話 葬儀において「泣く」ということについて

葬儀において「泣く」ということについて

by 清水真木

 私はこれまで、親族の葬儀に何回も出席してきました。母の葬儀では喪主にもなりました。私の上の世代は、もう誰もこの世にはいませんから、今のところ、次の葬儀は私自身の回ということになります。もちろん、これは出席しないわけには行きません。

 ところで、自分が参加した数々の葬儀について今から振り返って不思議に感じることが1つあります。それは、どの葬儀でも、誰かが泣いているのを見たことがない、ということです。いや、もちろん、故人の知り合いの誰かが涙を流しているのはよく見かけました。私が見たことがないというのは、遺族が泣いているところです。

 私自身、親族の葬儀で泣いたことはありません。私以外の誰かが泣くのを見たこともありません。祖父の葬儀のとき、祖母は泣いていませんでしたし、母の葬儀のとき、父は泣いていませんでした。葬儀のときだけではなく、それ以外の場面でも泣いているのを見ていません。

 火葬場で大声で泣いている女性を見かけたことが何回かありますが、むしろ、あのように泣くことができるのが不思議で仕方がありません。

 放心状態でもあり、疲労困憊してもいるせいで遺族には泣くことができないのか、それとも、葬儀というのがそもそも「泣けるコンテンツ」ではないからなのか、私にはよくわかりません。

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