料理本を眺めていると、おいしそうな料理を見つけることがあります。自分で作ってみることがないわけではありませんが、大抵の場合、そのまま素通りします。
作るのが面倒だからではありません。健康に必ずしもよくないように思われるからです。
とはいえ、「料理本に載っているレシピは健康に悪い」という主張に反論したくなる人がいるに違いありません。すなわち、「広く世間に向かって公表されている料理のレシピに健康に悪いものなどあるはずがない、現代人は『健康志向』(うゎ、嫌な言葉だ)なのだから、かつてはともかく、現在流通している料理本に食べることで健康を害するようなレシピが載っているはずがない。」
たしかに、常識的に考えるなら、(「健康に悪い」ことをあえて標榜するものでないかぎり、)料理本に掲載されたレシピが健康に悪いようには思われません。しかし、普通の料理本が何らかの健康を目指しているとしても、それは、あくまでも、配偶者や家族と同居している人が必要とする水準の健康にすぎず、「ひとり暮らしの独身者」に必要な健康の水準を満たすものではありません。
「ひとり暮らしの独身者」と既婚者では、必要となる「健康の水準」が違います。
既婚者――ここでは男性を想定します――の場合も、心身の健康はもちろん大切ではあります。しかし、たとえ自分が病気になっても、家族の誰かが看病してくれたり、自分がすべきであった仕事のうち、少なくとも一部は家族が肩代わりしてくれたりすることが期待できます。また、ある日の夕食の献立が自分にとっては必ずしも健康的ではない可能性があることがわかっていても、家族の都合を自分の健康に優先し、家族と同じものを食べるということがあるかも知れません。つまり、家族がいる男性は、パフォーマンスに少しくらい山と谷があっても容認される環境に身を置いているのが普通です。
これに対し、「ひとり暮らしの独身者」の場合、自分の健康が損なわれれば、それは仕事あるいはこれに付随する生産的な活動にただちに悪影響を与えます。病気になっても、誰かが援助したり肩代わりしてくれたりすることはありません。自力で生活を維持することができるだけの健康が失われるなら、それは、大抵の場合、「人生終了」を意味します。
「ひとり暮らしの独身者」にとり、身体の健康は最大の財産であり、可能なかぎり長期にわたり、可能なかぎり高い水準の健康を維持することがすべてに優先します。
また、誰の助けも期待できない以上、既婚者とは比較にならないくらい高い水準で健康を維持することが必要になります。したがって、「ひとり暮らしの独身者」の食事は、自分の体調の維持と向上に最大限配慮して調合された「餌」あるいは「飼料」になることを避けられません。(だから、「ひとり暮らしの独身者」が酒を飲まないというのは、完全に合理的な選択です。)
食事は不味いよりも美味しい方が好ましいには決まっていますが、「ひとり暮らしの独身者」にとり、美味しさの優先順位は必ずしも高くありません。食事に美味しさを求めるなどというのは、既婚者の贅沢でしかないのです。