「books to read」「must read」「best books」などのキーワードで検索すると、英語圏における「必読書ランキング」が大量にヒットします。これらの必読書ランキングの中には、個人がいわゆる「独断と偏見」にもとづいて作成したものがないわけではありませんが、大半を占めるのは、大手の新聞社、出版社、放送局、書店などが作成したものです。
20世紀後半、特に1970年代以降は、「教養」の意味と価値に関する社会的合意が失われた時代であると普通には考えられています。そして、これが事実であるなら、万人――あるいは少なくとも「教養」を身につけることを願うすべての人々――が目を通すべき「必読書」のリストを作るなど、もはや不可能であるに違いありません。
実際、わが国では、21世紀になってから、「教養としての」という目障りな6文字をタイトルに含む膨大な書物が送り出されてきました。現在では、経済や政治ばかりではなく、スポーツ、麻雀、ファッションすら、「教養」に属することを主張し始めています。日本語の「教養」という名詞には、その本来の意味を失い、「金儲けには直接関係ない知識」を表示する枕詞へと堕落してしまったように見えます。(「教養としての金儲け」なるタイトルの書物が世に送り出されるとき、「教養としての」は、完全にナンセンスな6文字となるでしょう。)
これに反し、英語圏では、普通の読書家から大手の出版社や報道機関まで、何らかの形で書物に関係ある個人や組織が必読書ランキングを日々公開し続けています。これは、古典的な書物を紐解くことによって培われると考えられてきた「古典的な教養」に対する欲求が決して消滅してはいないこと、言い換えるなら、「何を優先的に読むべきか」という問いに対する答えを求める者がいまだに少なくはないことを物語る事実であるように思われます。
もちろん、英語圏のメディアが作成し公開する必読書ランキングは、英語を母語とする読者、あるいは、英語へのアクセスが容易な読者のためのものです。当然、ランキングに登載される書物の大半は英語で書かれたものとなります。
したがって、ランキングを形作る書物の点数が異なり、また、基準も決して同一ではないにもかかわらず、ランキングの上位は、つねに似たような作品によって占められています。
たまたま検索でヒットしたものをくらべてみるなら、たとえば、おおよそ出現頻度の順に、次のような作品がつねに上位に掲げられていることがわかります。
- ハーパー・リー『アラバマ物語』(To Kill a Mockingbird)
- ジェイン・オースティン『高慢と偏見』(Pride and Prejudice)
- ジョージ・オーウェル『1984年』(1984)
- スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)
- シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』(Jane Eyre)
- エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(Wuthering Heights)
- J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(The Catcher in the Rye)
- ハーマン・メルヴィル『白鯨』(Moby-Dick; or, The Whale)
- ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(Dracula)
- オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray)
英語圏の場合、いずれのランキングでも、これらの作品の半分以上が1位から10位のあいだに必ず含まれます1 。
上に掲げたような作品がランキングの上位を占めるという事実は、必読書ランキングの主役が19世紀以降に英語圏で生まれた長篇小説であることを教えます。18世紀以前の小説、たとえば『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』『トリストラム・シャンディ』などを見かけることは必ずしも多くはありません。同じように、シェイクスピアの作品もまた、ランキングにおいて高い位置を与えられることはありません。もちろん、外国語の作品がリストに現れることなど滅多にありません。(リストの上位に複数回登場したことを私が確認したのは、トルストイの『戦争と平和』だけです。)
- これら以外に、『ハックルベリー・フィンの冒険』『ハツカネズミと人間』『フランケンシュタイン』『動物農場』『蠅の王』などがランキングの「常連」となっています。 [↩]