Home やや知的なこと 他人に寄り添うふりをしないことについて(後篇)

他人に寄り添うふりをしないことについて(後篇)

by 清水真木

※この文章は、「他人に寄り添うふりをしないことについて(前篇)」の続きです。

 あるいは、相談している当人が自分の経験をきわだって個性的と見なしている場合、私がこのような人に「わかります」などと言おうものなら、「お前に何がわかる」という反応を惹き起こし、私の方が信頼を失うのがオチでしょう。実際、他人の苦しみを直接に共有するなど、誰にとっても不可能です「よくわかります」「おっしゃるとおりです」などの相槌は、無意味であるばかりではなく、有害ですらあるのです。

 幸いなことに、私自身は、困難を抱えている人を前にして「よくわかります」「おっしゃるとおりです」などという頓馬な相槌を口走ったことはありません。(したがって、「お前に何がわかる」という逆ねじを食らったこともありません。)聴く者に責務があるとするなら、それは、寄り添うふりをせず、相手の困難の正体を見きわめ、相手が私に期待するもの——問題の具体的な解決であるのか、それとも、話を黙って聴くことなのか、など——を推測することに注意を集中することを措いて他にはありえません。何と言っても、主役となるのは困難を抱えている人の方であり、私ではないのですから。

 むしろ、困っている人から相談を受け、「よくわかります」などと反応する者は、相手に寄り添っているのではなく、ただ相手を——大抵の場合は不知不識に——支配しようとしているだけであると考えるのが自然です。

 私の場合、相談を受けても、できることは何もないと途中で観念し、そのまま黙って聴いているだけであることが少なくありません1 。そして、このような態度が、私に対する新たな——「親身になってくれない」という——苦情の原因となったこともあります。私に相談を持ちかける人があまりいないとするなら、私の態度は、その原因の1つかも知れません。それでも、他人をそれ自体として尊重することがすべてのコミュニケーションにおいて優先されるべきものであるかぎり、私が感じ悪く見えるとしても、それは仕方がないことなのでしょう。

  1. 「自分の身勝手が原因で苦境に陥っているのだから、身勝手をあらためるまで放っておくしかない」と判断し、聴いているふりをしてやりすごすこともありますが、できるかぎり愛想よく接するよう心がけてもいます。当然のことながら、相手を問い詰めたり非難したりするようなことはありません。 []

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