Home やや知的なこと 占いと発達障害について(その2)

占いと発達障害について(その2)

by 清水真木

※この文章は、「占いと発達障害について(その1)」の続きです。

 発達障害に関する初歩的な知識の普及が惹き起こすこのような事態は、「血液型にもとづく性格の分類」あるいは性格を診断すると称する各種の占いを想起させます。よく知られているように、血液型による性格の分類や性格診断が与える性格に関する記述にはすべて、誰がどれを見ても自分に「当てはまらなくもない」と思ってしまうという現象が認められます。

 一般に「バーナム効果」の名で知られるこの現象は、発達障害に関する記述についても確認することができるように思われます。現在、わが国の書店の店頭には、「うつ病」「パーソナリティ障害」などとともに、「発達障害」に関する新書サイズの入門書や啓蒙書が氾濫しています。もちろん、こらの書物はほぼすべて、障害の治療を専門とする精神科医の手になるものであり、それなりに信頼に値すると考えて差し支えないでしょう。

 ただ、さまざまな精神疾患や脳機能障害をテーマとする一般向けの書物が読者を獲得してきたのは、これらの書物が——著者たちの意図とは関係なく——一種の「占い」の役割を担うからであるように思われます。このような書物を手に取る者の多くにとり、「発達障害」を始めとする各種の「障害」に関する説明は、四柱推命、動物占い、星占い、手相、血液型などの延長上に位置を占めるに違いありません1

 たしかに、私たちは誰でも、輪廓の曖昧な「自分の性格」なるものに名前を与え、これを実体化させたいという強い欲求を持っています。そして、現在の日本において、「発達障害」を始めとする精神疾患に関する言説が氾濫しているとするなら、その最大の原因は、自分の性格を表現し、そして、安心を得たいという万人に共通の願望に求められなければなりません。

 しかし、発達障害に関する説明は、私たち1人ひとりの性格に名前を与えて類型化し、それ自体を「対象」として扱うことを可能にするものではありません。

 そもそも、性格というものは、私を他人から区別する標識の1つです。私が私であるとは、私に固有の性格があるのと同じことです。つまり、性格以上に個別的で特殊的なものはありません。これに反し、言葉には、個別的、特殊的なものを表現することはできません。つまり、他人と共有されたもの、一般的、普遍的なものを代理することしかできません。これは言葉の運命です。同じように、私たちは、自分のうちなる「性格」を、言葉にならないもの、気味の悪いものとして引き受けなければならないのです。

  1. したがって——実験は控えた方がよろしいと思いますが——精神疾患に関する説明についてもまた、「バーナム効果」が認められるはずです。 []

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