Home 世間話 「やる気」のない商店について(前篇)

「やる気」のない商店について(前篇)

by 清水真木

 私が住む荻窪は、駅の周辺に相当な数の商業施設や商店が集まっています。荻窪駅は、杉並区の駅の中でもっとも大きく、かつ、すべての路線を合わせると乗降客がもっとも多い駅ですから、これは当然のことでしょう。

 ただ、荻窪駅の周辺で目につくのはチェーン店ばかりであり、(飲み屋とラーメン屋を除くと)個人経営の商店は必ずしも多くはありません。杉並区内の中央線沿線なら、荻窪駅の周辺よりも、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪の方が、商業施設全体に占める個人商店の割合は高いはずです。街の個性を形作るのが個人経営の商店であるとするなら、荻窪は決して個性的な街ではないことになります。

 それでは、個人経営の店はよいものであり、チェーン店は悪であるのか。しかし、私自身は、世間の一部において支配的な「個人商店信仰」のようなものには与しません。現在、わが国では、個人経営の商店の数は減少し続け、代わりに、チェーン店が増加しているはずです。そして、個人経営の商店がチェーン店に駆逐されるのには相応の理由があるように私には思われます。

 1980年代まで、荻窪駅から離れた私の住む地域にも、複数の店からなる小さな商店街が住宅街の中にいくつかありました。そして、日常生活に必要な最低限のものは——生鮮食品、文房具から化粧品、電気製品、自転車まで——そこで手に入れることが不可能ではありませんでした。蕎麦屋、ラーメン屋、喫茶店、美容院、花屋なども近所にありました。

 しかし、この30年くらいのあいだに、これらの商店は少しずつ商売をたたみ、かつて店があったところは、今では、介護施設、アパート、普通の個人住宅などに変わっています。また、個人が店を始めても、これらは、短期間で姿を消して行きます。私が子どもころとくらべて数が増えたのは、処方箋を扱う薬局だけです。

 個人や家族が経営する地元の小規模な店を大切にすべきであることを主張する人々は、目に見えないサービスやコミュニケーションをその理由に挙げることが少なくないようです。

 たとえば、同じ家電製品なら、個人経営の店よりも量販店の方が安く手に入ります。しかし、量販店に期待するのはあらかじめ決められた範囲のサービスだけであり、たとえば購入した製品が故障したときにも、客の都合に合わせて駆けつけてくれることはありません。これに対し、個人経営の電気屋なら、商品は割高である代わりに、困ったときに助けてくれたり、あるいは、高い位置にある電球の交換のようなちょっとした雑用を頼むことも可能である・・・・・・、個人商店を擁護する人々は、このような事例に必ず言及します。(後篇に続く)

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