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外国人観光客のマスク着用について(後篇)

by 清水真木

※この文章は、「外国人観光客のマスク着用について(前篇)」の続きです。

(2) また、上の記事の筆者は、マスクを着用しない外国人観光客が目立つとともに、平均的な日本人とのあいだで衝突が起こると予想していますが、これもまた、誤りであると私は考えます。

 この点は、私たちが「街頭でマスクを着用しない日本人」に対し普段の生活においてどのような態度をとっているのかを振り返るなら、容易に確認することができます。たとえば、いくらか混雑した電車の車内で周囲を見渡し、マスクを着用していない乗客を見つけたとき、私たちは、「マスクを着用して下さい」と相手に求めるようなことはしません。大抵の場合、これが気になる人々は、「同じ空間を共有したくない」「同じ空気を呼吸したくない」という意思を表示するため、可能な範囲で黙って対象から距離をとります。(もちろん、誰がマスクを着用していようと気にしないという人もいます。)

 現在は、大半の日本人が街頭でマスクを着用しています。つまり、マスクを着用していない日本人は少数派です。そして、私たちは、新型コロナウィルス感染症の流行の2年間において、

(a)マスクを着用しない者は、マスクを「あえて」着用していないということ、そして、

(b)この選択が何らかの特殊な事情あるいは特殊な信条にもとづくものであること、したがって、

(c)特殊な事情あるいは特殊な信条にもとづいてマスクを着用しない者たちにマスクの着用を求めても、無駄なトラブルの原因にしかならないこと

を実地で嫌になるほど学習してきました。現在の日本では、「マスクを着用しない者」=「変人/確信犯」=「説得を試みても無駄な相手」=「かかわりあいにならないのが安全」という認識が広く共有されているのです。(実際、マスクをめぐるトラブルの発生件数は、2年前とくらべて減少しているはずです。)

 わが国の場合、マスクの着用は、外国とはいくらか理由は異なるものの、やはり高度にセンシティヴな問題であり、これにあえて手を突っ込む日本人は多くはないように思われます。

 上の記事の筆者が想定するような衝突が発生することがまったくないとは言いませんが、観光客の受け容れの方針を見直さなければならないほどの件数には決してならないはずです。

(3) 日本人の多くは、マスクを宗教的な理由で着用しているのではありません。マスクを着用するのは、これが科学的な感染対策だからであると私たちは理解しています。

 今さら言うまでもないことですが、マスクは、自分自身への感染を防ぐためのものであるというよりも、むしろ、他人への感染を防止するために着用が推奨されているものです。つまり、マスクを着用することにより、私たちは、他人をウィルスに感染させるつもりがない、相手に危害を加えるつもりがないという意思を無言で周囲に示しているのです1

 したがって、マスクの着用を確信犯的に拒む者たちに向かって「マスクは心の平安のため」などと言ってみたところで、そもそも、マスクを着用しないことを選択する者は、他人の「心の平安」などに関心がないからこそマスクを着用しないのであり、マスクを着用しない者に「心の平安」を尊重するよう求めるなど、時間の無駄であるばかりではなく滑稽ですらあると思います。

  1. 反対に、マスクを着用しないというのは、周囲に感染を広げてもかまわない、他人を傷つけてもかまわない、という意思表示として受け止められます。だから、私たちは、マスクを着用しない者にはあえて近づかないのです。 []

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