Home 世間話 エキュメニズムと宗教の終焉について

エキュメニズムと宗教の終焉について

by 清水真木

 キリスト教の宗派のあいだの対立を解消し、連携、連帯、結束を目指す運動は、一般に「エキュメニズム」(ecumenism) と呼ばれます。最近では、統合の対象は、キリスト教の諸宗派ばかりではなく、キリスト教の外部の宗教にまで及んでいます。そのため、現在では、「エキュメニズム」は、宗教間の対話と相互理解に意義を認め、これを積極的に促す試み一般を指すことが少なくありません。

 しかし、私自身は、「宗教間の対話」や「エキュメニズム」に大した意味はないと考えています。

 さまざまな宗教——厳密には、信者——のあいだの対話、融和、連携などは、信仰というもの一般が生活において占める位置の相対的な低下、あるいは、信仰へと無関心を俟って初めて可能となったものです。

 そもそも、信仰が私たちの生活を強く束縛しているかぎり、他の信仰を持つ者たちとのあいだに対話が成立する余地はありません。自分たちの生活様式が正統であり真実であるという確信と安心によって支配されている者にとり、他の宗教は異端と虚偽の巣窟以外の何ものでもなく、これを「理解」するなど、可能ではなく、必要でもないからです。

 したがって、他の宗教との対話へと開かれることがあるとするなら、それは、自分の信仰が「どうでもよい」ものになったときであり、かつ、このようなときに限られるはずです。換言するなら、みずからの信仰によって差し出される一群の行動様式を人々が実体化し、これに飽き始めたとき、他の宗教に対する寛容な態度が社会に姿を現すようになるのです。(決して逆ではありません。)

 20世紀以降、エキュメニズムは、何らかの意味において「前進」しているように見えます。しかし、これは、世俗に対する宗教の影響の低下の裏面にすぎません。エキュメニズムは、「信仰の終わりの始まり」の徴候であるようにお渡しには思われます。

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