※この文章は、「映画史の暗黒時代について(前篇)」および「映画史の暗黒時代について(中篇)」の続きです。
「スター・ウォーズ」のストーリーは、それ自体としては単純きわまるものであり、特別な奥行きも深みも認めることができません1 。それにもかかわらず、「スター・ウォーズ」が興行的に大成功を収めます。そして、この成功を受け、少なくともハリウッドでは、映画製作について方針の大きな転換があったのでしょう、観客に考えるきっかけを与える作品、10年後、20年後にもなお観るに値すると思わせる「大人向け」の作品ではなく、大量の観客を短期間に動員するような、大抵の場合は視覚効果が最大限に配慮された、いわば使い捨ての「子ども向け」の作品が優先的に製作され、観客に差し出されるようになります。
実際、興行収入のランキングの推移を見ることにより、これ以降、興行収入の上位を占める映画が作品として評価されるとはかぎらなくなったことがわかります。言い換えるなら、公開直後に大量の観客を動員するものの、その後はすぐに忘れられてしまう作品が多くなり、世代を超えた文化的な遺産となるものが少なくなって行くのです。
どのくらいの予算を何に使うのか、どのようなジャンルの、どのようなストーリーの作品を製作するのか、このような問題に対し「観客を短期間でどのくらい動員することができるか」という観点から答えることを「商業主義」と表現するなら、ハリウッドに代表される現在の世界の映画製作の主流は商業主義です。現在の映画製作者たちの多くにとり、(不知不識であることを心から願いますが、)映画というものは、観客からチケット代を吸い上げる手段以上の何ものでもないのかも知れません。
時代小説家であり映画通でもあった池波正太郎は、映画の鑑賞の効用の1つに経験の拡張を挙げています(『映画を見ると得をする』(新潮文庫))。(下に続く)
しかし、21世紀前半に製作、公開される映画の大半には、もはや、このような効用を期待することができず、むしろ、新たな映画の鑑賞は、観客の「愚民化」と文化全般の「先祖返り」の徴候にすぎないと考えることもできます。「スター・ウォーズ」のオープニングに倣い、最近45年間の映画の歴史を「遠い昔 はるか彼方の銀河系」の出来事として振り返るなら、これは、誰の目にも「暗黒時代」と映るでしょう。
- 「スター・ウォーズ」の監督であるジョージ・ルーカスは、神話学者ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』の作品への影響を認めていますが、これ自体は、「スター・ウォーズ」の作品としての価値を保証するものではありません。(下に続く)
[↩]