Home 世間話 民間企業の経営者はパソコンが使えなくてもつとまるものなのか(前篇)

民間企業の経営者はパソコンが使えなくてもつとまるものなのか(前篇)

by 清水真木

 私がパソコンを初めて手に入れたのは、1997(平成9)年の夏のことです。

 論文を執筆するためにそれまで使っていたワープロ専用機が急に動かなくなりました。修理を依頼したところ、部品の保有期間が過ぎていることがわかり、当時としては小さめのデスクトップ型のパソコン一式を急いで購入したのです。そして、これ以来、現在まで、25年にわたり、10台以上のパソコンを買い換えながら使い続けています。

 もっとも、私には、「パソコンの使い方」なるものをどこかで系統的に勉強した経験がありません。最初のパソコンが自宅に届いた日にまず手をつけたのは、「ワード」を開いて文字を入力する方法の習得です。(ワープロ専用機が壊れたとき、ちょうど博士論文を書いていたためです。)パソコンによる文字の入力は、私がそれまで10年近く使っていた富士通製のワープロ専用機とはまったく異なるものでした。新しい方式に慣れ、入力したい文字を画面に自由に表示させられるようになるまで3日くらいかかったことを覚えています。

 文字の入力方法に続き、メールの送受信の方法を苦心惨憺しながら身につけ、さらに、ブラウザーと検索エンジンの使い方を習得する・・・・・・、私は、必要なスキルを、必要になるたびに試行錯誤でその都度身につけてきました。おそらく、私の前後の世代で、職業上の理由からパソコンを日常的に使用している人々の多くは、私と同じように、特定の問題の解決のための技術を——いわば「ブリコラージュ」として——その都度獲得してきたはずです。また、私よりも下の世代なら、さらに早い時期に「ブリコラージュ」を始めたに違いありません。

 しかし、私よりも上の世代、具体的には、私よりも10歳以上年長(つまり、昭和30年代前半まで)の世代には、情報技術と深く関係するような職業に就いているにもかかわらずパソコンを十分には使えない、あるいは、まったく使えない人々が少なくありません。

 たとえば、大学には、さすがにメールをまったく使えない教員はもはやいないはずですが、それでも、各大学が整備しているWebCTをまったく使えない、授業で配布する教材や大学に提出する報告書等はすべて手書き、という段階にとどまる教員は、少なくとも文系では、今でもときどき見かけます。(後篇に続く)

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