現代の日本の社会において、歳をとることは好ましくないと一般に考えられています。少なくとも、ある程度以上の年齢が周囲から肯定的に評価される場面はほとんどないでしょう。外見、動作、雰囲気などを手がかりとして、実際の年齢よりも若く見られるために時間や金銭を優先的に費やす人が世の中に少なくないのはそのためです。
しかし、私たちの知識、智慧、洞察、勘などと呼ばれるものの多くは、これを手に入れるために、ある程度以上の人生経験を必要とします。子どものころや若いころにはわからなかったことが時間の経過とともにわかるようになり、視野が少しずつ広がり、未知のものを怖れなくなり、目の前にあるものを時間をかけずに処理することができるようになって行きます。この観点から振り返るなら、私の若いころなど、暗黒時代以外の何ものでもありません。私は、若いころに戻りたいとは必ずしも思いません。
幸いなことに、私は、ようやく最近になって、ある新しい境地に辿りつきました。「知らない」ことを「知らない」と率直に言うことができるようになったのです。もちろん、今でも、どのような状況のもとでも「知らない」と言うことができるわけではありませんが、それでも、「知らない」とは決して言うまい、という「こだわり」からは解放されました。
私と専門を同じくする人々、哲学に関心を持っている人々、私の知的生活に何らかの形で関係している人々などと話していると、そのときの話題に関連し、会話の相手から、この分野で活躍しているらしい研究者や著述家の名前が挙がることがあります。
以前の私は、たとえ名前が挙がった当の研究者や著述家について何も知らなかったとしても、その場では「知らない」と言わずに話を適当に合わせ、そして、その後、話題になったその人物の著作を取り寄せて目を通していました。自分の専門に何らかの関係があるらしい人物について知らないのは恥ずかしいように思われたからです。(後篇に続く)