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浜松市のアクトタワーが作り出す風景について

by 清水真木

 静岡県浜松市の浜松駅の近くに「浜松アクトタワー」という名の超高層ビルがあります。高さは、217.77メートルあり、2022年9月現在、全国で27番目に高く、当然、静岡県ではもっとも高い建物です。

 私は、静岡県には地縁も血縁もなく、これまでの人生において静岡県を訪れた回数は、数えるほどしかありません。浜松には、ごく最近、一度行ったことがあるだけです。

 アクトタワーは、線路沿いにあり、東海道新幹線は、アクトタワーの足もとを通過します。したがって、新幹線の車窓から眺めているだけでは、この建物の高さがわからないかも知れません。私自身、浜松駅で新幹線を降り、街に一歩を踏み出すまで、このような建物があることすら知りませんでした。

 ただ、浜松の街を歩いていると、アクトタワーの「存在感」に否応なく気づきます。交差点で立ち止まり、ふと遠くを眺めると、すぐ近くのビルの上にアクトタワーが遠くに「ぬっ」とそびえ立っているのが目につくことが少なくないのです。

 アクトタワーは、「タワー」という名に反し、ずんぐりした印象を与える——六本木ヒルズの森タワーに似た雰囲気の——超高層建築物であり、中心部から少し離れた小高い場所からは、アクトタワーがよく見えます。というよりも、アクトタワー以外には何も見えないことすらあります。少なくとも、浜松市全体を眺め渡したとき、最初に注意を惹くのがアクトタワーであることは確かです。

中田島砂丘の防潮堤から見たアクトタワー。アクトタワーが視界に入ると同時に防風林を前景とする「風景」が意識に姿を現す。
(c) 2022 Maki Shimizu

 そして、このような事実は、アクトタワーが、浜松における風景の形成において決定的に重要な役割を担うものであることを教えます。というのも、地平が「地平だったもの」として意識に姿を現し、風景となるに当たり、アクトタワーの知覚がそのトリガーとして作用するような地点が浜松市およびその周辺には無数に産み出されたはずだからです。視線がアクトタワーへと吸い寄せられなければ経験されないようなの風景が、いたるところで不可逆的な仕方で形作られているに違いありません。もちろん、街並みの背後に「ぬっ」と姿を現す超高層ビルに驚くのはよそ者だけであり、見慣れた者にとり、アクトタワーは、風景の物理的な構成要素にすぎないはずです。

 同じような役割を伝統的に担ってきたのは富士山です。現在では、ある程度以上大きな都会において富士山を眺めることができる地点は、もはや必ずしも多くはありません。しかし、かつては、「富士山が見えたことによる驚き」が風景を産み出してきました1

 残念ながら、今のところ、アクトタワーには、富士山と同じような役割は与えられていないようです。富士山とは異なり、アクトタワーは、都市のもっとも目立つランドマークとして視線を奪う構造物であるにすぎず、市民の日々の生活において——信仰の対象、文化的な伝統の象徴などとして——特別な役割を担っているわけではないからなのでしょう。

 しかし、それだけに、街を歩いているとき、ときにはまっすぐな道路の彼方に、ときにはビルのあいだから、アクトタワーが予告なしに「ぬっ」と姿を現すとき、それは、視界を一瞬のうちに再編し、風景を出現させる力をまだ失ってはいないと言うことができるかも知れません。

  1. なお、富士山が見える地点に「富士見」の3文字を含む地名が与えられるのは、これとはまったく関係のない事態です。「富士見坂」などの名を与えられた場所から富士山が見えても、何ら驚くべきことはないからです。「富士見坂」において出会われるのは、風景ではなく、風景の視覚的残滓なのです。

    浜松城の富士見櫓跡から見た富士山。
    (c) 2022 Maki Shimizu

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