Home 世間話 いわゆる「選択的夫婦別姓」制度に反対する(前篇)

いわゆる「選択的夫婦別姓」制度に反対する(前篇)

by 清水真木

 夫婦が希望する場合、それぞれ別の氏を名乗ることができる制度は、一般に「選択的夫婦別姓」と呼ばれています。(厳密には「選択的夫婦別氏」制度です。)

 この制度については、賛成と反対のそれぞれの立場にもとづき、遅くとも21世紀になってから、多種多様な意見が公共の言論空間に姿を現しました。また、両者の折衷として、「通称」使用の法的な保証を求める案を支持する人も、保守派を中心に少なくありません。

 私は、「選択的夫婦別姓」の専門家ではありません。したがって、この問題に関する私の意見は、「半径5メートル」の経験と実感にもとづくものでしかありませんが、あえてこれを表明するなら、私自身は、少なくとも現状では、「選択的夫婦別姓」制度の導入には原則的に反対します。

 理由は2つあります。

 まず、第1に、「選択的夫婦別姓」は「氏」に関する選択肢を増やすだけであり、誰にとっても不都合にならないことを主張する人々がいます。この制度が導入されることにより、選択肢が増えることは確かです。しかし、婚姻というものは、それ自体として制度であり、したがって、婚姻の外形が際限なく多様なものとなることは、社会にとって望ましいことではないと私は考えています。「婚姻」という制度を利用し、社会から保護を受けようとするのなら、相応の制限を受け容れるのは当然でしょう。

 実際、「選択的夫婦別姓」に反対する人々の多くは、これが婚姻という制度自体を溶解させ、これが遠い原因の1つとなり、社会の不安定化が惹き起こされることを懸念しているはずです。

 婚姻が他から区別された独自の制度であるかぎり、「選択肢は多いほどよい」「他人の権利を侵害しないのだからよいではないか」という主張を無条件で受け容れるわけには行かないことになります。

 以前に書いたとおり、私は、同性婚には原則として賛成です。「同性婚」の当事者は、「同性婚」と「異性婚」(?)の2つの選択肢のうちから一方を「選んでいる」わけではないからです。同性婚は、当事者の選択肢を増やし、社会生活の「利便性」を向上させるための措置ではなく、人権を保護するための措置であり、「選択的夫婦別姓」は、この点において、同性婚とは決定的に異なります。(後篇に続く)

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