Home やや知的なこと いわゆる「パレートの法則」の通俗的な理解とその適用について

いわゆる「パレートの法則」の通俗的な理解とその適用について

by 清水真木

 20世紀の終わりから今世紀の初めにかけて、「パレートの法則」という言葉を繰り返し目にしました。現在の日本において、どのくらいの数の人がこの「法則」(?)を憶えているのかわかりませんが、当時は、多くの日本人がパレートの法則について何かを知っていたはずです。

 パレートの法則というのは、同じ名前を持つイタリアの経済学者が19世紀末に明らかにした所得格差に関する仮説です。ごく大雑把に言うなら、これは、ある社会全体の富の8割が全人口の2割によって占有されるという偏りが普遍的に認められることを主張する法則です。パレートの法則が「80:20の法則」という別名を持つ所以です。

 私は、経済学の素人です。したがって、パレートの法則の経済学上の法則あるいは仮説としての価値は、私にはまったくわかりません。パレートの法則をテーマにする通俗的な書物の多くは、統計的に処理しうる経済現象が何もかもパレートの法則に従っていること、いや、それどころか、経済とは無関係の現象にもパレートの法則が適用可能であることを主張しています。パレートの法則は、「重要な2割に集中し、価値を産まない8割を捨てる」ことを教える「人生哲学」(?)あるいは「世界観」(?)として受け止められているように見えます。

 たしかに——素人の無責任な予想になりますが——疫学上のデータ、テレビの視聴率、社会保障費などについては、経済と直接には関係がなくても、どこかに「80:20」の偏りが繰り返し姿を現すようなことが、あるいはあるかも知れません。個別の問題を処理するときの優先順位を決めるための手がかりとなるかも知れません。(あるメーカーに寄せられた苦情全体の8割が2割の商品に集中していることが判明し、かつ、「苦情を減らす」ことが重要な課題であるなら、問題の2割の商品の品質の改善を優先するのが合理的な選択であることは、誰にでもわかります。)

 しかし、統計とは無関係な事柄、それどころか、数値化することすら困難な(したがって、具体的で複雑な)事柄を「80:20」に無理やり仕分けても、得るところは何もないように思われます。

 たとえば、私の知人全体を、連絡を頻繁にとる2割と、あまり連絡をとらない8割へと大きく2つに区分した上で、後者をどうでもよい存在と見なして無視することは可能です。しかし、このような措置からは、生産性も幸福も生まれないでしょう。あるいは、映画を最初から最後まで通して観る代わりに、上映時間の最後の5分の1だけ観ることもできなくはありません。これにより、あらすじと結末を確認することは可能ですし、あらすじと結末の正確な把握という点では、いわゆる「倍速視聴」よりはよほど「まし」であるかも知れません。それでも、映画のこのような扱い方が映画の鑑賞に当たらないこともまた、確実であるように思われます。

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