ところが、しばらく前、『東行話説』という江戸時代の紀行文を読む機会があり、食べ歩きは低級な趣味という認識を訂正しなければならないかも知れないと考えるようになりました。この『東行話説』は、土御門泰邦というれっきとした公卿の手になるもので、1710(宝暦10)年に宣旨を伝える勅使に随行して江戸に下ったときの記録です。(なお、土御門泰邦というのは、陰陽師として有名な安倍晴明の末裔であり、本人も暦学の専門家でした。)この記録の本体をなすのは、京都を発ってから江戸に着くまでの東海道中の食べ歩きであり、それぞれの地元の名物の批評がいたるところに記されています。
この『東行話説』は、『随筆百花苑』(中央公論社)の第13巻に収録されており(現在は、Kindleでも読むことができるようです)います。
解題の執筆者である中村幸彦氏によれば、紀貫之の『土左日記』を一応のモデルとして、これを中途半端に模倣しながら、しかし、実質的には、「意地きたない」「雨風どうらんの健啖家」である著者が、各地の名物を批評する「東海道食べ歩記」です。中村氏は、「かかる内容のものは、日本の紀行、旅行記にも他に例はあるまい」、「奇書と称してよろしかろう」と記しています。それなりに身分の高い人物の手になる江戸時代の「ノンフィクション」に範囲を限定するなら、『東行話説』に似たものを、少なくとも私は他に知りません。
『東行話説』の著者が試みたような「食べ歩き」がそれ自体として公卿にふさわしいものであったのかどうか、私には判断することができません。それでも、この江戸時代の食べ歩きの記録は、知性を必要としない下等な趣味にすぎぬものではなく、ここには、「芸」となる可能性を私たちに示していると言えないことはないかも知れません。