「順番待ちの列に並ぶ」ことへの耐性
平日の日中に東京の繁華街やオフィス街を歩いていると、飲食店の前に順番待ちの行列ができているのをときどき見かけます。順番待ちの行列は、ラーメン屋に代表されるファストフードを提供する店の前に生まれることもあれば、一見お洒落風な菓子店や喫茶店の入り口に向かって行列が作られることもあります。そして、サラリーマンや観光客がスマートフォンをいじりながら屋外でおとなしく順番を待つ光景を目にするたびに、ある疑問が私の心に浮かびます。それは、「この人たちは行列を作って順番を待つのが好きなんだろうか」という疑問です。というのも、私自身は、順番待ちの行列に並ぶのが大嫌いであり、少なくとも飲食店に入るための行列には、特別な事情がないかぎり並ばないことにしているからです1 。私が列に並ぶことがあるとするなら、スーパーやコンビニエンスストアで精算するとき、電車や飛行機に乗るときなど、数秒あるいは数分で必ず終わる順番待ちのみであり、したがって、その場面は限定されています。
ただ、たしかに、世の中には、順番待ちの列に並ぶことを好む人々がいないわけではないようです。ずいぶん昔、私は、行列に並ぶことを趣味――あるいは生き甲斐――にしていると自称する人物の短いエッセーをある雑誌で読みました。雑誌のタイトルも筆者の名前も忘れてしまいましたが、私の漠然とした記憶によれば、この人物は、順番待ちの行列を街頭で見かけると、何の順番を待つための行列なのかを確認する前にとにかく列の最後尾に並んでみることにしているそうです。
もちろん、順番待ちの行列を現実に形作る人々の大半は、必ずしも「行列好き」というわけではないはずです。むしろ、このような人々には、私とは異なり、列に並ぶことへの耐性があると想定するのが自然です。言い換えるなら、行列に並ぶ人々にとっては、「順番待ちの列に並ばずに済ませる」ことの優先順位が相対的に低いのでしょう。順番待ちの行列に並ぶことで費やされる時間や体力に積極的な意義を認めているというよりも、大多数の人々は、順番待ちが要求する時間と体力を、たとえば「休憩時間に昼食をとる」行動や「お洒落な店でインスタ映えするお菓子を買う」行動に付随するやむをえざるコストとして不知不識に許容しているのかも知れません。(続く)
- 特に路上での行列には決して並びません。「食べ物にありつく順番を公道上で待つ」という図は、標的となる食べ物が何であるかには関係なく、誰がどう考えても美的ではないように感じられるからです。 [↩]