※この文章は、「『順番待ちの列に並ぶ金持ち』なるものについて(その1)」の続きです。
「金持ちほど順番待ちの列に並びたがらない」という傾向
もちろん、順番待ちに必要な時間と体力というものは、誰にとっても、また、どのような場合でも、無駄なコストであるには違いありません。そして、『それをお金で買いますか』におけるマイケル・サンデルの指摘を俟つまでもなく、この無駄を金銭によって圧縮したり解消したりする試みが――社会全体の健全性を損なう危険があるとしても――歓迎されているとするなら、それは、順番待ちが無条件に好ましくないという認識が広く共有されているからに他なりません。
わが国においてもまた、たとえばディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンに代表されるテーマパークは、アトラクションの利用に必要な順番待ちの時間を圧縮するための有償のオプションを用意しています1 。飲食店での食事が問題なら、金持ちの多くは、事前の予約が不可能な店、順番待ちの列に並ばなければならないような店を忌避し、順番待ちせずに済むような店を――たとえ割高でも――利用するに違いありません。
そして、順番待ちのコストが無駄であるという認識が広く共有されていること、また、このコストが金銭により手早く圧縮、解消されうること、これら2つの前提は、「金銭的に余裕がある者ほど、順番待ちの行列に並ぶことを忌避する手段を持ち、また、実際に順番待ちを忌避しようとする」という結論へと私たちを自然に誘うことになるでしょう。すなわち、サンデル風に表現するなら、純粋の「市場主義」のもとでは――つまり形式的に考えるなら――順番待ちの行列に並ぶ者の中に金持ちはいないことになります。実際、世界中の多くの国では、このような傾向が認められるはずです。(続く)
- もちろん、「順番待ちに費やされる時間と体力は無駄以外の何ものでもない」という私の意見は、「友だちと一緒に順番待ちの列に並ぶのは楽しいことだ、だから順番待ちが純粋に無駄であるとはかぎらない」という反論に出会うかも知れません。私は、飲食店に入る順番を誰かと一緒に待つ時間がつねに無意味であることを主張するつもりはありません。それでも、同じ時間を過ごすなら、店の中で過ごす方が、吹きさらしの公道で順番を待つよりも楽しいことは間違いないように思われます。 [↩]