※この文章は、「順番待ちの列に並ぶ金持ち」なるものについて(その1)と「順番待ちの列に並ぶ金持ち」なるものについて(その2)の続きです。
金持ちの大衆化
ところが、ここに1つの不思議な現象があります。すなわち、わが国では、「順番待ちの列に並ぶ金持ち」なるものを観察することができるのです。
しばらく前、ネット上で調べ物をしていたところ、何かの偶然で次のページがヒットしました。これは、クレジットカードに関する情報を集めたサイトの記事の1つであり、このページでは、ダイナースクラブカードが運営する「ダイナースクラブ銀座プレミアムラウンジ」なるものが取り上げられています。(下に続く)
銀座の繁華街のはずれのビルの一室に設けられたこのラウンジは、それ自体としては無料で利用することができます。客は、飲み物の提供を受けることができるようですが、これにも費用はかかりません。しかし、このラウンジの客となるためには、ダイナースクラブが発行するさまざまなカードのうち、特定の4種類のカードを持っていなければならないようです。そして、これら4種類のカードの年会費はいずれも高額であり、2024年11月現在、もっとも安いものでも27500円、もっとも高額なものには55万円もの年会費が設定されています。つまり、「ダイナースクラブ銀座プレミアムラウンジ」の客となりうる者は、いわゆる「富裕層」「超富裕層」などに属しているとはかぎらないとしても、少なくとも、可処分所得がそれなりにあるという意味において「金持ち」であることは間違いありません1 。
ところが、ダイナースクラブのサイトにおける説明を読むかぎり、このラウンジでは、座席を予約することができません。この事実について、多くの人は、さしあたり、「座席の予約ができないのは、利用資格が厳しく制限されており、満席になる可能性がないからなのではないか」と予想するでしょう。私もまた、最初にこのように予想しました。
しかし、現実には、このラウンジには、「混雑状況」を案内する専用のページが作られており、実際、上に掲げたウェブサイトのページには、平日に訪れたにもかかわらず、約30分の順番待ちを余儀なくされたと記されています。この事実から、銀座のこのラウンジが、年会費を最大55万円支払うだけの金銭的な余裕のある客を順番待ちの列に並ばせていること、また、順番待ちの列に並ぶ金持ちが実際にいることがわかります。
金額に換算された所得や資産を現在の日本の水準で評価するかぎり、「ダイナースクラブ銀座プレミアムラウンジ」を利用する人々は明らかに「金持ち」と呼ばれるのにふさわしい社会階層に属しています。それにもかかわらず、彼ら/彼女らは、無料ではあっても予約不可能な座席と飲み物を求めてラウンジを訪れ、そして、曜日や時間帯によっては30分、あるいは、それ以上の時間を順番待ちに費やします。これは、私にとっては実に不思議な――矛盾した2 ――光景であり、これに対応する何ものかを諸外国の「富裕層」「超富裕層」のあいだに見出すことは困難でしょう。
日本では、少なくはない数の金持ちが順番待ちの列に並ぶことを――つねにではないとしても――必ずしも苦にしないとするなら、その原因は何であるのか。今のところ、私は、この問いに対する明確な答えを持っていません。実際、この問いにはいくつもの答えが同時に可能であるはずです。
それでも、私の個人的な経験や観察を前提とするなら、次のことは確実であるように思われます。すなわち、わが国の金持ちの中には、金持ちにふさわしい行動様式をまだ身につけていない者が少なくない、私はこのように考えます。「順番待ちの列に並ぶ」のは、金持ちの典型的な行動ではありません。金持ちにふさわしいのは、順番待ちの時間を金銭的な手段によって圧縮、解消することです。上で取り上げた「ダイナースクラブ銀座プレミアムラウンジ」の場合、ここに入るために順番待ちを余儀なくされるようであるなら、金持ちにふさわしいのは、その場を立ち去り、銀座あるいは近隣の地域において別の場所を探すことでしょう。ラウンジの客が何を目当てとしているのかはわかりませんが、それが無料の飲み物や座席であるなら、ラウンジで順番待ちの列に並ぶことは――資産や所得にふさわしくない行動が公然と行われている点で――(裏返しの)「成金」的な行動であると言えないことはありません。(念のために言うなら、私は、「ダイナースクラブ銀座プレミアムラウンジ」が成金の巣窟であると言いたいわけではありません。)
実際、ダイナースクラブの方も、ラウンジを訪れる客の行動について何らかの危惧を抱いているのでしょう、利用を60分間に制限したり、同伴者を限定したり、内部での行動について細かい規則を設けたりしています。「具体的な禁止事項をいちいち列挙しなくても、金持ちなら、してはいけないことは常識の範囲でわかるはずだ」という基本的な信頼がここには最初から欠けているように見えます。その結果、残念ながら、このラウンジは、(少なくともウェブ上の情報を手がかりとするかぎり、)「金持ち専用」というその趣旨に反し、どこか貧乏くさい、せせこましい雰囲気を否応なくまとっているように私には感じられます。
私は、最近約30年間の日本の小売業において、「金持ち」がある歪んだ形で優遇されてきたと考えています。これは、以前に説明したとおりです。(下に続く)
短期間にたくさんのものを買う客を優遇することには、金持ちの行動様式を「大衆化」するという側面があります。ルネ・ジラール風に表現するなら、少数の金持ちと大衆がたがいに「欲望」を「模倣」することにより、競争関係にある両者がその心性や存在理由について区別不可能となった、ということになります。
諸外国のように確固とした身分制度のないわが国では、明らかな経済格差にもかかわらず、バブル崩壊後、小売店と客との関係の変化をきっかけとして、「金持ちの大衆化」が急速に進行したように見えます。
この変化を押しとどめることがもはや不可能であるとするなら、遠くない将来において、「金を持った大衆」という少数派と「金を持たない大衆」という多数派が、それぞれが「相手と一緒にされたくない」とうそぶきながらも、現実には相手のものを奪い合う社会、ある意味において殺伐とした平板な社会がわが国に生まれることになるのかも知れません。
- ダイナースクラブカードには、いわゆる「利用限度額」がない点を除き、クレジットカードとしての基本的な機能について他と異なるところはありません。それにもかかわらず、カードを保持し続けるために最高で毎年55万円も支払うというのは――クレジットカードの年会費を捻出するために借金するなどありえないとするなら――何らかの意味における金持ちでなければなしえないことであると考えるのが自然です。 [↩]
- 「客を待たせない」ことは、ある店が「金持ち限定」であることの意味の1つだからです。 [↩]