この文章は、以下の5点を内容としています。
- 喫茶店でモバイルオーダーを体験し、手間が多く面倒に感じた。
- スマホ操作に慣れていない人には負担が大きく、特に高齢者には不便。
- モバイルオーダーは店側のコスト削減には有効だが、客の手間を増やす。
- スマホ依存の社会を助長し、すべてがスマホ中心の生活になる恐れがある。
- 「あると便利」から「ないと困る」への移行に既視感を覚え、不安を感じる。
いわゆる「モバイルオーダー」
1年くらい前、外出先で30分ほど待ち時間ができたため、一見お洒落風の喫茶店に入ったことがあります。以前に何回か書いたように、普段の生活において、外食する機会が滅多になく、したがって、「行きつけの店」なるものもまた、私にはありません。このときに入ったのも、当然、初めての店でした。
この店に入って席に着いたところ、QRコードが印刷されたカードのようなものを店員から渡されました。そして、「スマホでQRコードを読みとって店のサイトに行き、そこでメニューを見ながら注文してほしい」という意味のことを告げられました。
この店員が何を言っているのか理解するのに、このときは3秒くらいかかりました。そして、その意味を理解した次の瞬間に私の心に浮かんだのは、「うわあ、面倒くさい」という感想でした。席に着く前にこのシステムを知っていたら、私は、そのまま店を出ていたと思います。
これもまた以前に書いたように、私の場合、普段の生活においてスマートをフォンをいじる時間は、1日平均約5分です。1度もスマートフォンに触らない日もあります。
もちろん、私は、外出するときには大抵の場合、スマートフォンを携帯しています。しかし、電源を切ってカバンに放り込んだままであることも少なくありません。「QRコードを読みとってスマホで注文する」よう店員から求められたときにも、私のスマートフォンは、電源が切られた状態でカバンの中にありました。
席に着いてから私がしなければならなかったのは、次の作業でした。(1)カバンを開いてスマートフォンを取り出す、(2)スマートフォンの電源を入れる、(3)眼鏡をはずす、(4)パスコードを入力してロックを解除する、(5)カメラを起動させてQRコードを読みとる、(6)メニューをスクロールさせてコーヒーを見つけて注文する、(7)眼鏡をかける、(8)スマートフォンの電源を切る、(9)スマートフォンをカバンに戻す、これらの作業に3分以上かかりました。なぜ席に着いた客が面倒な作業を強いられることに、私はどうしても納得できませんでした。今でも、納得していません。
たしかに、元気なとき、あるいは、時間に余裕があるときなら、このような作業に耐えられるかも知れません。しかし、喫茶店に休憩のための場所という性格がある以上、疲れている客、注文で煩わされることを嫌う客は少なくないはずです。また、私自身は、スマートフォンの操作にあたり老眼鏡を必要としませんが、40歳以上の場合、眼鏡をかけ替えなければならない人も少なくないはずです。
モバイルオーダーによる注文しか受け付けないことは、店の側のコスト削減には有効なのでしょう。(だから、安さを売りものにする店がこの仕組みを導入するのは仕方がありません。)しかし、客の形式的に考えるなら、モバイルオーダーには、注文の手続に必要なコスト(手間と手段と時間)を客に負担させる点において重大な問題があります。この仕組みを抵抗なく受け入れるのは、スマートフォンを四六時中握りしめているような客だけでしょう1 。
「モバイルでなければできないこと」の拡大
「モバイルオーダー」に対する私の苦情を、時代から取り残された単なる「デジタルデバイド」の嘆きとして受け止められてもらいたくないと私は考えています。というのも、飲食店の「モバイルオーダー」というのは、本質的には、「デジタル化」ではなく「モバイル化」の徴候だからです。
しばらく前、ウェブ上のあるサイトで提供されているサービスを利用していたとき、使い方がわからなくなったことがありました。必要な操作の1つを実行するためにクリックすべきボタンが、画面上のどこにも見当たらないのです。サイト上の「ヘルプ」を隅々まで調べても、「画面上にボタンが現れない場合」についての説明はありません。
万策尽きた私は、サポート窓口に対し、「ボタンが見つからない」旨のメールを送りました。すると、このメールにすぐに返信があり、そこには、「PCで表示されるウェブ版の画面にはボタンは現れない、必要な操作を行うには、スマホ版のアプリを使うように」と記されていました。
ウェブ上のサービスの場合、PCのブラウザ上で操作することができる他に、スマートフォンのアプリが用意されていることがあります。私が利用していたサービスについてもまた、アプリがダウンロード可能です。しかし、私がこれまで利用してきたサービスはいずれも——サービスの内容は区々であるとしても——ブラウザ版の方がアプリよりも機能が多く、アプリでは実行できない操作はあっても、PCで実行できない操作はないという点において一致していました。しかし、私がサポート窓口に問い合わせたこのサービスについては、PCのブラウザよりもスマートフォンのアプリの方が高機能であり、PCではできない操作がアプリでは可能であることになります。
私が遭遇した出来事が例外であるのか、それとも、全体的な傾向の反映であるのか、私にはわかりません。ただ、事実が後者であるなら、それは、便利な合理的な社会の到来を予告するものであるというよりも、むしろ、社会生活が最終的にスマートフォンへと紐付けられ、生活の重要な部分がモバイルなしでは成り立たない未来、「モバイルでもできる」ではなく「モバイルでなければできない」ことばかりの暗い未来を予告するものであるように私には思われます。
とはいえ、私は、このような変化に既視感を覚えます。というのも、21世紀の初め以来、私たち日本人は、社会生活のさまざまな場面において、「あると便利」の「ないとできない」への——合理化やコスト削減の名のもとでの——なし崩し的なすり替えを何回も経験してきたからです。そのもっとも目立つ代表は、マイナンバーおよびマイナンバーカードです。現在は、「スマホ用電子署名書」が「あると便利」なものとして宣伝されています。遠くない将来、政府が「スマホ用電子証明書」のインストールを事実上の義務と見なして強く国民に求めるとしても、私は驚きません。
飲食店を中心に拡大しつつあるモバイルオーダー、そして、ブラウザ版よりも多機能なスマートフォンのアプリは、すべてがスマートフォンへと流し込まれて行く大きな流れの罪のない泡沫として受け止め、そして、これらに対する違和感を失わないようにしたいと考えています。
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- とはいえ、そもそも、スマートフォンを四六時中握りしめ、かつ、人目もはばからず操作するというのは、「頭の悪さ」の原因であるとともに、その現れでもあります。 [↩]