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公共図書館は何のためにあるのか

by 清水真木

 この文章は、以下の5点を内容としています。

  • 清瀬市は図書館を6館から2館に統合予定で、市民の反対もあるが筆者は賛成。
  • 図書館は無料貸本屋ではなく、民主主義を支える社会教育の装置であるべき。
  • 予算配分の仕組みが「無料貸本屋」化を助長し、本来の価値ある資料収集を阻害。
  • 住民の誤解が図書館の増設要求につながるが、本来は数を増やす必要はない。
  • 自治体は図書館の教化的役割を理解し、予算を優先配分すべき。

清瀬市立図書館の統廃合

 しばらく前、次の記事を読みました。


 東京都清瀬市は、市立図書館6館のうち4館を閉鎖し、2館に統合することを予定しているようです。そして、記事によれば、住民の中には、市のこの方針に反対する声が少なくないそうです。

 あらかじめ言っておくなら、私は——清瀬市民でも何でもありませんが——「図書館を統廃合する」ことには、それ自体としては、賛成です。市立図書館をすべて閉館するわけではなく、それなりの規模の図書館が存続するかぎり、清瀬市の方針には何ら問題ないと私は考えています。

 ただ、この統廃合が成功するためには、統廃合後の市立図書館が、住民のあいだで漠然と共有されている図書館への誤った期待を敢然と捨て、公共図書館の本来の姿へと回帰することが必要となるように思われます。

 以下、この点について簡単にお話しします。

公共図書館は無料貸本屋か

 今から20年以上前、公共図書館の役割について、地味な論争がありました。きっかけは、林望氏が2000年に月刊誌「文藝春秋」に発表した「図書館は無料貸本屋か」という文章です1 。林氏は、人気作家の手になる新刊のベストセラーを大量に購入し、これを利用者に貸し出す公共図書館を「無料貸本屋」と呼んで批判し、図書館のこのような態度が書籍の販売部数の減少の原因の1つであることを指摘し、さらに、利用者が読みたがるベストセラーを大量に購入することにより、本来なら重要な資料や文献の購入に当てられるべき予算が削られることを危惧しています。

 誰が考えてもただちにわかるように、林氏の見解は、「公共図書館の本来の使命」をめぐるある立場を前提としています。すなわち、公共図書館が収書すべきなのは、現実の利用者の多くが読みたがる書物ではなく、本来の、あるべき読者が必要とする書物であるという立場が林氏の見解の前提となります。

 それでは、公共図書館とは、何を使命とするものなのでしょうか。また、公共図書館の蔵書とは何のためのものなのでしょうか。

「社会教育の装置」としての公共図書館

 公共図書館というのは、新刊やベストセラーのような娯楽や気晴らしのための本、あるいは、料理本や「ペットの飼い方」のような身も蓋もない単なる実用書を利用者の閲覧に供するためにあるのではありません。(もちろん、図書館の閲覧席もまた、無料の自習室ではありません。)

 結論を簡単に示すなら、公共図書館とは本質的に社会教育の装置に他なりません。つまり、民主主義の担い手である市民一人ひとりが自律的に考え行動するための手がかりとなるような資料を収集するのが公共図書館の本来の使命であることになります。これは、図書館法の第1条にも、日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」にも、間接的に述べられているとおりです。

 現在、わが国では、すべての地方公共団体が図書館を1箇所以上設置しています。図書館が提供するのは、単なる住民サービスではありません。民主主義の成熟した担い手を作ることこそ、自治体が税金を投じて図書館を設置、維持することの大義名分に他ならないのです。この意味において、図書館には教化的な役割があると言うことができます。

図書館の生き残りと利用者の勘違いと

 残念なことに、全国の地方公共団体が設置する図書館は——私が知るかぎりでは例外なく——事実上の「無料貸本屋」となっています。これは、公共図書館の明らかな堕落です。

 ただ、各図書館は、何も好んで「無料貸本屋」を目指してきたわけではありません。むしろ、よく知られているように、公共図書館の「無料貸本屋」化には、施設の存続のためのやむをえざる選択という側面があります。すなわち、各自治自体が図書館に配分される予算額は、大抵の場合、利用者数や貸出冊数を根拠とするものなのです。つまり、利用者数が少なく、貸出冊数が少なければ、予算が削られ、反対に、利用者数が増え、貸出冊数が増えれば、これに応じて予算が増額されます2 。そして、この仕組を前提とするかぎり、本当に価値ある資料を収集する予算を確保するためには、蔵書の「回転率」を上げることが必要となり、蔵書の「回転率」を上げるのにもっとも効果的なのは、現実の利用者が読みたがる——が資料としての価値については必ずしも明らかではない——新刊やベストセラーの小説や自己啓発書や実用書を大量に購入して貸し出すのがもっとも合理的であることになるのです。

 貸出冊数を増やすことを目的とするこのような措置のせいで、図書館の書棚は、5年後、10年後には誰も見向きもしなくなるであろう書物で溢れることになりました。これは、現実の利用者のあいだに「図書館は無料貸本屋である」「新刊やベストセラーは図書館で借りて読むもの」という誤解を広めるのに十分な事実であったに違いありません。

 そして、このような勘違いに囚われているかぎり、より多くの図書館(という名の「無料貸本屋」)を要求する住民がそれなりの数に上るとしても、何ら不思議ではないでしょう。

 清瀬市立図書館の統廃合は、「財政を理由に統廃合を決めた清瀬市」と「図書館の存続を求める『市民団体』」の対立などという単純な問題ではありません。(図書館の統廃合に反対する市民がそれなりに多いとしても、彼ら/彼女らの多くが求めているのは、無料貸本屋の存続であり、民主主義社会の担い手を作る社会教育の装置の存続ではないはずです。)反対に、予算配分の歪み、図書館の生き残りの戦略、利用者の勘違いなど、いくつもの要素が絡まり合った複雑な文脈の内部に位置を与えられるべきものであると私は考えています。

本来、1つの自治体にそれほど多くの図書館は要らない

 とはいえ、公共図書館が社会教育の装置として機能するためには、住民にもまた、当然、(図書館を無料貸本屋としては利用しないことに対する)覚悟と関与が要求されます。そして、住民の覚悟と関与があるかぎり、1つの地自体が大量の図書館を設置する必要はないように思われます。なぜなら、図書館が「無料貸本屋」であることをやめ、刊行されてから5年後、10年後にもまだ読まれるに値する書物、それどころか、時間の経過とともにその価値が増大するような資料のみを収蔵するかぎり、膨大なスペースは不要となるはずだからです3

 もちろん、公共図書館が本来の姿へと還帰するなら、図書館を無料貸本屋と見なしていた住民は離れて行き、貸出冊数もまた減少するでしょう。それでも、どのような自治体も、民主主義が大切であるという合意があるかぎり、それぞれの地域において教化的な役割を担う施設(=図書館)に対し予算を優先的に配分し続ける義務を負うように私には思われます。

  1. 林望「図書館は『無料貸本屋』か——ベストセラーの『ただ読み機関』では本末転倒だ」、「文藝春秋」2000年12月号、294〜302頁。 []
  2. 図書館にとり、利用者数が多く、貸出冊数が多いことは、別に悪いことではないとしても、図書館は商業施設ではないのですから、利用者数が多く、貸出冊数が多ければよい、というものでもありません。しかし、残念ながら、多くの地方公共団体は、この勘違いに囚われています。 []
  3. 私が住む杉並区には、全部で13の区立図書館があり、この他に、図書館に関連する施設が5つあります。(そのうち1つは、私の自宅から徒歩3分のところにあり、とても便利です。)杉並区が60万人程度の人口を抱えていることを考慮するなら、13という図書館数は妥当であるかも知れませんが、人口が杉並区の約10分の1しかない清瀬市に6つの図書館があるというのは、「無料貸本屋」として期待されているとしても、過剰であるように私には思われます。 []

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