※この文章は、「『日本は右傾化しつつある』という意見について(前篇)」の続きです。
政府の介入や統制がたまたま自分たちの嫌うような性質のものであったとき、あるいは、国政選挙や世論調査において自分たちの気に入らない事実が明らかになったとき、この事実に憤慨した「左派」を自任する人々が、その事態を表現するため、「左」の反対に当たる「右」という言葉をおざなりな仕方で使っているにすぎないのです。
「右傾化」というのは、恣意的なレッテル貼り以上のものではありません。このレッテル貼りは、事柄の真相を明らかにするよりも、むしろ、これを覆い隠してしまいます。自分たちの気に入らないことが姿を現すたびに、これを表現するのに「右」という漢字を用いるのは、あまりにも安直であるように思われます。
したがって、安倍政権に「右傾化」の原因を求めることもまた、適切ではありません。なぜなら、最近10年間の政府の政策は、本質的に「国家社会主義」的なものにすぎないからです。これは、上に述べたような誤った意味において「右」的ではあっても、言葉の本来の意味における右翼でも保守でもありません。
実際、最近10年間、政府は、安保関連法の施行に代表される(左派の神経を逆撫でするような)施策ばかりではありません。同じ10年間には、所得税の最高税率の引き上げ、相続税の課税強化など、(共産党が喜びそうな)所得格差の解消を目指すさまざまな試行錯誤が続けられてきました。
日本の右傾化というのは、妄想にすぎません。日本は右傾化しつつあるのではなく、政府の介入や統制が目立つようになっているだけなのです。
上の(1)についてもまた、事情は同じです。左派の知識人や活動家は、各種の選挙において敗北すると、その原因を社会の「右傾化」に求めることが少なくありません。しかし、残念ながら、(選挙の結果がつねに「正しい」わけではないことは確かですが、それでも、)現在のわが国の政治制度のもとでは、選挙は、政治に関する意思決定の最終的な審級です。結果が気に入らないものであるとしても、日本人である以上、これを受け容れる他はありません。
左派政党が選挙で敗北することが多いのは、みずからが掲げる政策に重大な問題があるからではないと私は考えます。左派政党が国政選挙で勝利することができず、与党になることができないことの原因は、政策以前の問題、つまり、選挙戦術の失敗にあるのです。
左派の政党とその候補者たち、さらに、その支援者たちは、選挙に敗れると、敗北の原因を「右傾化」に求めることが少なくないようです。しかし、これは、幼稚な責任転嫁以外の何ものでもありません。
左派政党が野党にとどまることを余儀なくされているのは、「日本の右傾化」が原因なのではなく、前に述べたように、選挙に臨む態度に、そして、有権者と向かい合う態度に、克服すべき重大な問題があるからです。何か気に入らないことがあるなら、左派の知識人や活動家がなすべきなのは、「日本は右傾化しつつある」などとうそぶくことではなく、多数派を形成して選挙で勝利するための戦術を工夫することではないかと私は考えています。