しばらく前、福岡県福津市にある宮地嶽神社を訪れました。これは、年に2回、玄界灘に沈む太陽の光が参道に一直線に差し込み、参道が「光の道」となることで有名な神社です。
この「光の道」の眺めについては、多くの動画がYouTubeで公開されています。
私自身が宮地嶽神社を訪れたのは、「光の道」とは関係のない季節の日中です。それでも、神社の鳥居の前からは、宮地浜に向かう一直線の参道がよく見えました。
私は、神社を訪れたあと、参道の石段を降り、そして、参道の先にある宮地浜にたつ「一の鳥居」まで歩き、もと来た道をそのまま引き返して神社まで戻りました。そして、参道を往復しながら、ある不思議なことに気づき、これが頭から離れなくなりました。(なお、私には、神社建築、あるいは、宮地嶽神社の来歴に関する立ち入った知識はありません。以下は、素人の感想です。)
海岸と神社を結ぶ細く長い参道を両端から眺めることにより、ただちに明らかになる1つの事実があります。すなわち、この道が海岸までの明瞭な一直線として視界に姿を現すのは、神社側から見下ろされるときだけなのです。宮地浜の一の鳥居から参道の彼方にあるはずの神社については、住宅地の低い屋根の彼方に坂道と石段を遠望することができるにすぎません。つまり、一の鳥居から眺めても、参道が「一直線」として際立つことはないのです。宮地浜の方が神社よりも低い位置にあることを考えるなら、これは当然であるかも知れません。
とはいえ、海岸から見上げる眺めよりも神社から見下ろす眺めの方が「絵」として魅力的であることは、主要構造物、参道、鳥居などの配置が、神社に向かう者ではなく、「神社を背にして立つ者」のまなざしに最適化されていることを意味します。私の注意は、この点に惹きつけられました。
そもそも、宮地嶽神社は、言葉の広い意味における「信仰」にかかわる施設です。そして、大抵の場合、このような施設では、その空間は、参道を通って施設へと接近する者のまなざしにもっとも魅力的に映るよう設計されるのが普通でしょう。実際、国内にある有名な神社仏閣の多くは、私の知る範囲では、「入るときの眺め」の方が「出て行くときの眺め」よりも魅力的です。たとえば、宮地嶽神社と同じ福岡県にある太宰府天満宮では、この「原則」(?)に忠実に構造物が配置されています。
これに対し、宮地嶽神社の空間は、神社から出て行く者のまなざしにもとづいて設計されています。参拝者は、「絶景に背を向けながら」神社に接近することになります。そもそも、現在の宮地嶽神社は、参道の延長上から少しズレたところにあり、参道の石段を登っても、目の前に本殿があるわけではありません。(当然、海岸からは神社は見えません。)
もともと、宮地嶽神社は、神功皇后がいわゆる「三韓征伐」に出発する際に建立した祭壇を起源とする施設であると伝えられています。これが事実であるなら、かつては——現在とは反対に——構造物が海を背にして建てられていたのかも知れません。また、仏教寺院が人間のための施設であるのに反し、神社が本質的に神の住処であり、この点を考慮するなら、神社には近代的な参拝者のまなざしに対する配慮など不要であると考えることもできます。
宮地嶽神社は、「光の道」によって有名であるばかりではなく、この絶景を背にして歩かなければ参拝することができない点においても、特別な注意に値する施設であるに違いありません。