Home やや知的なこと ブロゴスフィアとは何だったのか(後篇、完)

ブロゴスフィアとは何だったのか(後篇、完)

by 清水真木

※この文章は、「ブロゴスフィアとは何だったのか(前篇)」および「ブロゴスフィアとは何だったのか(中篇)」の続きです。

ブロゴスフィア、あるいは、ブログを開設した「動機」

 ただ、このようなきっかけとは別に、私には、ブログを開設してここに文章を公表することを決めた1つの動機がありました。(ここからが、このダラダラした文章の本論です。)

 20世紀末から21世紀初めのサイバー空間の状況をリアルタイムで眺めることにより、私には、次の点が明らかになりました。すなわち、社会の知的公衆を糾合すること、そして、オープンで対等な議論にもとづく合意形成がインターネット上で可能であるとするなら、それは、相当な数のブログからなる言論空間の内部を措いて他にはないという点が明らかであるように思われたのです。

 2000年代前半から、ブログからなる自由な言論空間には、「ブロゴスフィア」(blogosphere) の名が与えられるようになりました。2010年ごろまでは、日本語でも英語でも、この言葉に出会う機会が少なくなかったように記憶しています。

 しかし、誰でも知っているように、ブログのこの役割は、歪んだ形でFacebookによって(見かけの上で)担われるようになり、その後、Facebookの場合とは違うタイプの「狂い」とをともなってTwitterに引き継がれ、そして、「言論」ではなく「言いっ放し「叫び」へと矮小化しました。そして、さらにこれに続いて大流行して多くのユーザーを集めたYouTube1 に対し、ブログが担っていたような「公論を形成する機能」を期待する人は非常に少ないのではないかと私は想像します。つまり、ブログというのは、最近約20年のサイバー空間において、言論のための自由な「圏域」(sphere) を一時的にでも形作ることができたただ1つのメディアなのです。Facebook、Twitter、YouTube、そして、もちろん、Instagramに代表されるその他のSNSのうちどれ1つとして、独自の「圏域」を作り、その名を”-sphere”と一つにして新語を産み出したものはありません。ブロゴスフィアを星雲のように形作った、あるいは、形作るはずだったブログが他のメディアや「プラットフォーム」に依る情報の発信や意見の公表と決定的に異なる点があるとするなら、それは、ブログ以外のすべてが基本的に「大衆」(mass) を標的とするものであるのに対し、ブログだけは、「公衆」(public) のためのものであり、「公衆」を産み出す装置となることが社会から——ごく短期間であるとしても——期待されていた点にあります。

 2023年の私の目の前に広がっているのは、「ブロゴスフィア」の残骸あるいは廃墟にすぎないのかも知れません。また、私は、「ブロゴスフィア」の再建するなどという野望を心に抱いているわけでもありません。それでも、私としては、遅れてきた存在として、「ありえたかも知れないブロゴスフィア」を追想しながら、今後もしばらくのあいだは「暗中模索」を続けるつもりです。

  1. YouTubeは、一般にはSNSの一種であると信じられているようです。しかし、実際には、公開されるコンテンツが「動画」という形態を持つかぎり、そこには、ブログにもFacebookにもTwitterにも認められないような「作る人」と「観る人」のあいだの極端な非対称性と、「作る人」から「観る人」への強い一方向性が生まれます。そして、この非対称性と一方向性のせいで、YouTubeには、自由な言論のための「圏域」(sphere) を生みだすことはできません。YouTubeにおいて、あるいは、YouTubeから生まれる言論があるとしても、プロパガンダと本質的に何ら異なるところがないように私には思われます。 []

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