Home やや知的なこと 音声入力が得意な人と苦手な人の違いについて(その3)

音声入力が得意な人と苦手な人の違いについて(その3)

by 清水真木

音声入力が上手く行かない理由は語彙の違いにある

闇雲な繰り返しは効果が小さい

 それでは、音声入力を用いて文章を自在に書くことができるようになるためにはどのようにすればよいのか。この問いに対するもっとも愛想のない答えは「訓練」です。いかなる技術においても、その上達には訓練が必要であり、音声入力を使いこなすことが技術に属する以上、当然、訓練を避けることはできません。

 しかし——音声入力を苦手とする私が語っても説得力に欠けるかも知れませんが——音声入力を闇雲に繰り返しても、本人が満足することができるような文章が出来上がる可能性は低いように思われます。

事前のメモには効果なし

 ある程度以上の長さの文章を音声入力を用いて書くために推奨される作業の1つにメモの用意があります。すなわち、見出しや重要な論点を箇条書きにしたものをあらじめ作成し、これを見ながら話すなら、次に口にする言葉を選ぶ時間を短縮することができるかも知れません。

 しかし、この方法を実際に試した人ならわかるように、事前にメモを作るくらいなら、キーボードで書いてしまった方が早いことが少なくありません。なめらかに話すために作り始めたメモが次第に詳細になり、最終的に、メモと完成予定の文章とのあいだに大した違いがなくなってしまう場合すらあるでしょう。

書き言葉と話し言葉の語彙の違い

 むしろ、音声入力を苦手とする者が音声入力を用いて文章を書くときに経験する苦労の主な部分は、経験の不足や準備の不足を反映するものではなく、「語彙」の違いに由来すると考えるのが自然です。

 私たちが理解したり、みずから使用したりする語彙は、話し言葉と書き言葉では異なります。

 また、何か文章を書くことを試みるくらいの人であるなら、使用可能な表現の数の点でもまた、話し言葉と書き言葉のあいだには大きな差がある——つまり、書き言葉の方が話し言葉よりも圧倒的に多い——はずです。

 さらに、書き言葉にとって適切な表現のすべてが会話の場面でも自然であるとはかぎらず、また、反対の場合も、事情は同じでしょう。このように、誰にとっても、また、集団的に言うなら、どのような言語においても、話し言葉と書き言葉のあいだにはそれなりの違いが認められるのです。

 そして、音声入力が苦手というのは、話し言葉と書き言葉のあいだの語彙の距りが大きいことにその最大の原因があると私は考えています。書き言葉で頻繁に使う言葉を会話の場面では一切使用せず、反対に、話し言葉としてはよく用いる表現が文章には決して登場しない・・・・・・、このような人は、音声入力を苦手とするはずです。なぜなら、音声入力を可能とするためには、「書き言葉を話す」というねじれた作業を必要とするからです。文章では繰り返し用いてきたものの、これまで発音したことが一度もないかも知れないような表現を、あえて声に出すことは、他人の言葉を無理に反復させられているような途方もない居心地の悪さを惹き起こします。

音声入力が得意な人が書く文章は、当人の会話に近い

 事情がこのようなものであるとするなら、音声入力を自在に使いこなすことができるようになるためにもっとも手っ取り早いのは、文章を書くときの語彙を会話の語彙に近づけることです。言い換えるなら、書き言葉の語彙を話し言葉の語彙に近づけ、文章の方をカジュアルでコロキアルにしてしまうことです1

 もっとも簡単な音声入力とは——上に述べたような「書き言葉を話す」ことではなく——「話し言葉を話す」ことです。したがって、権利上、書き言葉と話し言葉のあいだの語彙の差を小さくするなら、それだけで、音声入力は容易になるはずです。

 もちろん、文章をカジュアルでコロキアルに変えることができないのなら、「書き言葉を話す」という不自然な能力を身につけることが必要となります。これは、新しい言語を学ぶのと基本的に同じ努力であり、普段の会話において心に浮かぶことを書き言葉へ「同時通訳」する訓練、いや、それどころか、「書き言葉で考える」訓練が必要となるでしょう。

 しかも、外国語を学ぶのとは異なり、これには、他人の手になる教科書のようなものはありません。音声入力を用いて文章を自在に書くことができるようになるためには、何よりもまず、「話し言葉を書き言葉へと翻訳」する能力が必要であり、この能力を獲得するために、私たちは一人ひとり、それぞれ異なる「単語帳」を「ラディカル翻訳」のような手法で心の中に作り上げて行かなければならないのです。

  1. もちろん、出来上がった文章の品質が無惨なものになる可能性は決して低くありません。 []

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