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「教室」の概念

by 清水真木

 新型コロナウィルス感染症の流行が始まってから、日本のほぼすべての大学は、教室での授業をオンラインに切り替えました。少なくとも、学生の側の事情を無視して私自身について言うなら、オンライン授業には非常に大きなメリットがあると考えています。

 しかし、それととともに、私は——学生にある程度以上の勉学意欲があるかぎりにおいて——教室での授業にはオンラインには代えられない価値があると考えています。

 Zoomに代表されるビデオ会議システムを使って少人数の——つまり、学生が討論に参加するタイプの——授業を経験したことがある人なら誰でもわかるように、授業を受ける側の物理的環境には大きな差が認められます。幸いなことに、私の授業では、自室で授業に臨むことができる学生が大半でした。しかし、それとともに、背後を誰かが何回も横切ったり、水が流れる音や包丁を使う音が授業中ずっと聞こえていたりする——そこは台所なのでしょう——劣悪な環境でZoomにアクセスしている学生もいました。このような空間で授業を受ける学生が注意を議論の内容に注意を集中させることができるはずがなく、本人にとってオンライン授業は相当につらいものだったに違いありません。

 対面での授業の最大のメリットは、学生の側の物理的環境の格差を全面的に解消することにあります。何と言っても、「教室」というのは、勉強に最適化された空間であり、学生自身に勉強するつもりさえあれば、教室の内部には、これを妨害するものは何もありません。

 今回のパンデミック以前に大学や文部科学省が主に注意を向けていたのは、勉学意欲の乏しい者たちや人生の方向を見失った者たちを一時的に収容し、社会から隔離する箱としての教室でした。格差を解消する手段としての教室の効用が積極的に顧みられることはなかったように思われます。

 しかし、今後は、「教室」が何よりもまず、そして本質的に「格差解消の装置」である点、少なくとも、ある規模以下の授業の場合、何はなくとも——什器や設備がボロでも、内装がしゃれていなくても——学生を教室に収容すること自体に特別な意義がある点に注意が向けられ、教室の使われ方も、これに応じて多少は変化することになるのではないかと予想しています。

 ただ、私は、現状において、教室に学生を集めることには反対です。というのも、キャンパスにおける学生の行動のすべてをコントロールすることは大学には不可能であり、感染の防止に関し大学が全面的な責任を負うことが不可能だからです。

 たしかに、学生が授業のためだけに自宅とキャンパスのあいだを往復するかぎり、これによって感染が拡大する可能性はほぼゼロでしょう。教室の内部における学生の行動は、教師の手で完全に管理することができるからです。

 これに対し、キャンパスにおける「学生生活」には、授業外の学生の行動、たとえばサークル活動や会食などの活動が含まれており、これらには、大学のコントロールが及びません。しかし、それなりの数の学生が、このような活動を「キャンパスライフ」の重要な構成要素と見なしているかぎり、大学授業外の活動を全部禁止してしまったとき、それでもなお学生がキャンパスに来る気になるかどうか、これは微妙な問題であるように思われます。

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