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イヤホンとヘッドホンについて

by 清水真木

 新型コロナウィルス感染症の流行が始まってから、オンラインの授業や会議の機会が増えました。授業や会議に参加するとき、多くの人々は、イヤホンやヘッドホンを用いて音声を聴いているようです。

 しかし、私自身は、会議でも授業でも、イヤホンやヘッドホンの類は使わないことにしています。音が外部に漏れることをどうしても避けなければならないような特殊な状況——たとえば、喫茶店で会議に参加しなければならないような場合——を想定し、カバンにはイヤホンを放り込んではありますが、この2年間で実際に使ったのはただ2回、あわせて15分程度にすぎません。

 普段からイヤホンやヘッドホンを装着して音楽を聴く人々は、オンラインの授業や会議でもこれらの器具を使うことに抵抗を覚えないのかも知れません。しかし、私には、パンデミック以前から、このような器具を使う習慣がなく——というよりも、そもそも、他人がいる空間で音楽を聴くことはありません——イヤホンやヘッドホンで耳を塞ぐことには少なからぬ抵抗感があります。

 私がイヤホンやヘッドホンを使わないのには、2つの理由があります。

 まず、イヤホンやヘッドホンを使うことにより、聴覚が損なわれるおそれがあります。静かな室内ならばともかく、それなりにうるさい環境のもとでイヤホンやヘッドホンから流れてくる音を聴き取るためには、音量を上げなければなりません。当然、耳許で発せられる大音量は、聴覚に好ましくない影響を与えます。難聴になるリスクをできるかぎり回避したいというのが第1の理由です。

 しかし、第2に、私がイヤホンとヘッドホンを忌避するのは、耳を塞ぐことにより、自分が身を置く物理的な空間から聴覚の面で遮断されてしまうからです。

 たとえば、電車に乗っているとき、ランニングしているとき、自動車を運転しているとき、イヤホンで耳を塞ぎ、音楽を聴いたり、ゲームをプレイしたり、動画を観たりしている人が少なくありません。しかし、このような人々の注意は、当人が身を置く「今、ここ」から逸れ、しかも、その注意の向かう先は「今、ここ」にはなく、当然、他人には見ることができません。これらの人々は、「あちらの世界」と「交信」しているのです。これは、私の目には不気味に映ります。

 バーチャル・リアリティの技術がどれほど進歩しようとも、私たちが、自分の身体によって投錨された物理的な空間から離脱することができるようになるわけではありません。むしろ、自分の周囲に広がる物理的な空間との関係は、あらゆる生存の動かしがたい基盤であり続けるでしょう。人間によって形成され、人間的なリズムと速度で変化して行く物理的な環境との相互作用は、人間の人間らしい生活において最優先で考慮されるべきものなのです。

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