現在、政府は、所得制限を設けることなく18歳以下の国民全員に10万円の現金を給付することを計画しているようです。
これについて、マスコミでは、「天下の愚策」という評価が流通しています。
また、現金の給付が先の総選挙における公明党の選挙公約であったため、「税金を使って創価学会の票を買うのと同じ」という意味の批判も散見します。私もまた、そのように考えています。
ところで、このような報道を見て、既視感に襲われた人は少なくないように思われます。というのも、1999(平成11)年に、やはり公明党が要求を容れて政府が「地域振興券」を発行した——厳密には、政府の補助金を原資として各地方自治体が発行した——ときにも、同じような批判が姿を現したからです。「天下の愚策」という表現が使われた点まで一緒です。地域振興券については、当時の小渕内閣の野中広務官房長官の
という発言が記録に残されており、この発言により、地域振興券の発行を決めた政府すら、これを「天下の愚策」と認めていたことがわかります。
私自身は、前回の地域振興券の発行の対象外でした。また、現在計画されている現金の給付についても、その対象とはならない見込みです。つまり、私は、給付の原資となる税金を所得税の形でむしられ、税負担が相対的に増える側に身を置いています。
平凡きわまる主張になりますが、税金が社会全体の福祉のために使われることが明確であるかぎり、私は、個人的な損得には関係なく、その使途について文句を言うつもりはありません。しかし、社会全体にとっての費用対効果が明らかではない支出、具体的には20年前の地域振興券のような政策への支出には反対します。
そもそも、給付の対象や金額に関係なく、1回かぎりの施策には何の効果もないと私は考えています。本当の意味における効果を求めるなら、(例によって突飛なことを言いますが、)長期にわたる多額の給付——たとえば「所得税を大幅に引き上げる代わりに、18歳未満のすべての国民に対し、所得制限を設けずに毎月10万円ずつ一律に給付する」ようなこと——が必要であり、そのためには、制度の大規模な変更が必須であるように思われるのです。